メンタルヘルス問題から考える、産業から解き放たれた音楽の役割

分断の時代に、なぜ音楽が重要なのか

いま、音楽業界側から聞こえてくる「音楽を止めるな」というような言葉が、ただ「消費サイクルを止めるな」という話だけなのだとしたら、そこでやっている限りどんどん自分たちの首が絞まっていくだけではないかと感じるところもあります。ある知人が、文化は「文化セクター」という独立したセクターであって、それを一元的に、いわゆる「民間=ビジネスセクター」として認識しているのはおかしいと言っていたのですが、自分もその通りだと感じます。

お客さんの側も、いまの構造の中にある限り音楽家を「消費財」としか捉えることができず、その商品価値を支える根拠を失いつつあるいま、「そもそも音楽がなんで大事なのか?」という社会的な根拠を見失っているように見えますし、それこそ産業側も、みんな「なんで音楽をつくっているのか?」という理由を説明できないんじゃないかと思うんです。「不要不急」と言われてしまったら、「まあ、そうだよな」と引っ込まざるを得ない状況というのは、それを押し返す論拠が失われていることの現れだと思います。

「音楽なんてそもそも何の役にも立たないんですよ」っていうのは、それはもちろんその通りなんですが、それでも「社会的な意義」というものはいつの時代にもそれなりには設定されていて、それこそ消費文化が華やかなりし頃は、音楽や映画といったカルチャーに造詣が深いことは、例えば「就職において有利」といったコンセンサスがあったりしました。昔は社会の側に、音楽や文化に触れることがなぜ大事か、という合意がなんとなくあって、であればこそ、それをないがしろにしてはいけないという合意もあったんですが、それを経済性や効率性という指標のなかだけで根拠づけようとしていった先に、「不要不急」という言葉を真に受けてしまうような環境ができあがってしまったのではないかと感じます。

ソーシャルメディアがどんどん市民を分断していくような世の中において、なぜ音楽が重要なのかと考えるにつけ、140字のツイートのようには簡単に現実は割り切れないでしょ、というやり方でものごとを表現できるからです。言葉には現実を認識するためのツールとして優位性もありますが同時に限界もあります。言葉で表せないことを表出するために音楽や文化があるのだすれば、そこで描かれることもまたわたしたちの大切な「現実」であるはずです。「世界にはもうちょっと膨らみがあるぞ」というときの、その膨らみを認識可能にして、現実化するために音楽やアートは必要でしょうし、そうであればこそ、いまほどアートや文化が必要とされている状況もないはずです。

近年は音楽で食べていくこと自体が難しくなってきたこともあって、本業を持ちながら自分達のペースでしか活動しないという人たちも増えています。そうした状況は、案外ポジティブなものかもしれず、それは、上手く産業と距離を起きながら、同時にもう一度自分たちをどうやって社会の中にエンベッドし直すかの実験でもあるようにも見えるからです。世渡りの上手さとか業界のプロップスとかではないところで、音楽のためにもなることをさまざまな人たちが考え始めている証拠なのだと思います。

ある海外レポートの中には「もっとソーシャルセクターと緊密に連携すべきだ」とミュージシャンに向けたティップスとして掲載されていました。音楽に関わる人たちが、自分たちを「ソーシャルセクター」と名乗るかどうかは別にしても、少なくとも文化はビジネスセクターの奴隷じゃないということは、やはり強く信じてはいたいところですよね。


悩みを抱えている人のためには、以下のような相談窓口があります。

全国の精神保健福祉センター一覧
こころの健康相談統一ダイヤル
子供(こども)のSOSの相談窓口(そうだんまどぐち)
よりそいホットライン
こころのほっとチャット



前ページで言及している「Street Lab」ホームページより



若林恵

1971年生まれ。編集者。ロンドン、ニューヨークで幼少期を過ごす。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業後、平凡社入社、『月刊太陽』編集部所属。2000年にフリー編集者として独立。以後、雑誌、書籍、展覧会の図録などの編集を多数手がける。音楽ジャーナリストとしても活動。2012年に『WIRED』日本版編集長就任、2017年退任。2018年、黒鳥社(blkswn publishers)設立。著書『さよなら未来』(岩波書店)。責任編集『NEXT GENERATION GOVERNMENT』(黒鳥社/日本経済新聞出版社)。
Twitter : @kei_wkbysh / @blkswn_tokyo

【若林恵によるコラム】
●2020年代の希望のありか:後戻りできない激動の10年を越えて
●メイド・イン・ジャパンは誰をエンパワーしたのか? 日本の楽器メーカーがもっと誇るべき話

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