スティーヴ・ペリーが語る、エディ・ヴァン・ヘイレンとの「ロック史を変えたかもしれない出来事」

エディと交わした真夜中の電話

これは誰も知らないと思うんだけれど、デイヴィッド・リー・ロスが(1985年に)バンドを離れてしまった時のことになる。当時俺はベイエリアに住んでいて、自分がこの先何をすべきか、あるいは何をしないべきなのかと、ちょっとだけ迷っていた時期だった。どういうふうにそうなったんだかはきちんと覚えていないんだけれど、とにかく俺がかけたかエディがくれたかして、電話で話したことがあるんだ。まあだから、回線を通じて“真夜中の秘め事”みたいなことをしたって訳さ。はっきりしているのは、その夜は結局二人して他愛ない話で楽しく盛り上がったってことだけだ。

エディは俺に、そのうちこっちにやってきて一緒にジャムセッションしようと言ってくれた。お遊びでさって。ああだから、どこかでは俺もとても光栄に思ったよ。彼の天賦の才には畏敬に似た気持ちを抱いていたからね。彼はただ生まれつき彼だった。心底一緒にやってみたいと思ったよ。自分たちが一緒にやったら音的にどれほどキマるかって話もしたな。サミー(・ヘイガー)が俎上に載る前のことだ。

次の日から1週間ばかりはずっとこう考えていた。

「そうすべきなのかどうか、自分でもよくわからないな。もしすべてが、きっとこんな具合になるだろうと俺が思っている通りに上手くいってしまったら――」

自分が持ち込めるものがなんであれ、やってしまえばそれが俺にとっては一番やりたいことになるだろうともわかっていた。唯一引っかかったのはこういうことだ。

「俺はそんな男になれるのか? この声で出ていって、デイヴィッド・リー・ロス時代にも取って代わることができると? そもそも俺は彼みたいになりたいのか?」

サミー・ヘイガー加入の話が耳に入ってきたのは、このほんのすぐ後のことだった。なるほど、彼ならばうってつけだなと思ったよ。

エディがどんなつもりで声をかけてくれたのかは俺にはわからない。彼はただこう言っただけだ。「一緒にやろうぜ」って。約束でもなんでもなかった。本当にただこれだけだよ。「ダメってことはないだろう? どんな感じになるものか、とにかくいっぺんだけでもやってみようぜ」

言った通り、あの時期までに彼らが積み上げてきた遺産を引き継ぐということが、とりわけ俺の声にすごくハマってくれている仕事だとも思えなかった。そもそも歌唱の方法そのものが違う。デイヴィッドのヴォーカルスタイルというのは、いわばルイ・プリマの直系みたいなものなんだ。実際、後年に彼は「ジャスト・ア・ジゴロ」を取り上げて、本人以上にルイ・パルマっぽく歌ってみせた。ああいうのを個性という。

今こうやって1978年のヴァン・ヘイレンとのツアーを思い起こしてみると、これは本当に心の底からの言葉だけれど、あの音楽性にあそこで出会えていたというのはまさに天恵のような事態だったんだなと思うよ。あれで俺の人生は変わった。自分がどうなりたいかという部分が変わった。どういう曲を作りたいかという意識が変わった。そして、どういうものをすごいと思うかという価値基準がすっかり変わってしまった。それに、これも忘れないで欲しいんだけれど、ヴァン・ヘイレンというのはただジャーニーをよりよいバンドへと化けさせてくれただけにはとどまらないんだ。彼らはその存在だけでものすごく数多くのバンドを導いたんだよ。

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From Rolling Stone US.

Translated by Takuya Asakura

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