ボブ・ディラン70年代の傑作『血の轍』完成までの物語

ボブ・ディラン(Photo by Alvan Meyerowitz/Michael Ochs Archives/Getty Images)


地元のミュージシャンと録り直し

赤いノートに曲を書きためていた時と同様に、ディランはこれをほかの人間に聴かせて彼らの反応を見極めた。そのうちの一人は弟のデイヴィッドで、12月にディランがミネアポリスに戻ってきた時にこれを聴かされた。デイヴィッドは仕上がりの苛酷なまでの完璧さに心打たれもしたのだが、同時にディランの各曲に最善を求める強い気持ちに再び火をつけてしまいもした。

「デイヴィッドは、このままではラジオでかかりまくったり、世間をあっと言わせたりすることは難しいんじゃないかと考えたんだ」

当時を振り返って、ケヴィン・オデガードはそのように語っている。当時のオデガードは地元のシンガーソングライターで、デイヴィッドにマネージメントを任せていた。ディラン本人ともそれまでに何度か会っていた。

「俺らの仲間うちってのはけっこう近しかったんだよ」。彼はそうも言っている。

オデガードは列車の制動手として生計を立てていた。クリスマスの終わった木曜の夜、彼はデイヴィッドからの電話を受けた。あるギターを探しているとのことだった。マーティンの1937年製の、0042という型番だ。オデガードが捜索を手伝っていくうち、幾つかの会話の中からその理由も浮かび上がってきた。ディランがミネアポリスのサウンド80というスタジオを使い、幾つかの曲をレコーディングしなおそうとしていたのだ。

ほかに三人のミュージシャンにお声がかかった。鍵盤のグレッグ・インホファーとベースのビリー・ピーターソン、それにドラムのビリー・バーグだ。フォークよりはむしろジャズよりの面子である。12月27日、彼らはサウンド80で、オデガードとそれから、例のギターが見つかった店の店主だったクリス・ウェバーとに合流した。

「本当にボブ・ディランが同じ部屋に入ってきた時の衝撃といったらなかったよ」

これはオデガードの弁である。それでも、気安さもすぐに明らかになった。

「ボブってのは二人いるんだ。映画に出てくるようなボブ・ディランと、それからミネソタ男のロバート・ジマーマンだ。平気でそこらにいるようなやつ。その日出てきたのはそっちの方だったんだ」

ウェバーがディランに話しかけ、ギタリストに抜擢されてバンドに曲を教え始めた。最初は「愚かな風」だった。ニューヨークでのテイクと比べればはっきりと異質な、もっと辛辣なヴァージョンだった。

「彼は火がついたみたいだったよ」オデガードは言う。「『追憶のハイウェイ61』の怒りのエネルギーが宙に漲っていた」

テイク4まで録り終えたところでディランは再生を聴き、自分でハモンドB3のオルガンを弾いてニュアンスをつけ足した。その次には「君は大きな存在」が、こちらは一発録りで続き、作業はその夜のうちに収まった。

Translated by Takuya Asakura

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