MONO NO AWAREの曲作りのポイント、「何かと何かがつながる瞬間の喜び」を玉置周啓が語る

いつ終わるか分からない時間に没頭していたい

─ところで、コロナ禍になって以降はどんなことを日々感じていましたか?

玉置:抽象的ですが、「変わらないんだな」と思いました。初めは、「アフターコロナは新しい社会になる」と思っていましたが、それよりも「元の社会に戻りたい」という揺り戻しの力の方が大きかったなと。「現状維持」を求める世の風潮を見せつけられた気がしました。

─とはいえライブハウスが閉店したり、アーティスト活動が立ち行かなくなってしまったり、否が応でも変化せざるを得ない状況もありましたよね。例えば「SaveOurSpace」の取り組みなど、玉置さんはどう思いましたか?

玉置:賛同して署名しました。でも「SaveOurSpace」ってものすごく批判されたんですよ。特に音楽業界以外の人たちから「なぜ、こんな時だけ政府に頼るんだ?」って。それがすごく引っ掛かったんですよね。何故そこまで言われてしまうのかを考えた時に、そもそも音楽業界が社会から孤立していたのだなということを痛感したんです。今回、たまたまコロナ禍で顕在化しただけで、それ以前からずっとそうだったんだろうなと。もし、他の産業との繋がりがもっと太ければ、ここまで批判されることはなかった気がします。

政府による支援についても、最初のうちは僕も「するべきだ」とは思っていたのですが、それはコロナ禍が2、3カ月、長くて半年くらいで終息するだろうと考えていたからであって、これが1年や2年続くのだとしたら、いつまで政府の支援に頼っていられるのだろうかと考え始めるようになったんですよね。それはおそらく、「SaveOurSpace」を立ち上げた人たちも同じだと思うんです。

─状況は刻一刻と変化しているし、明日にはどうなっているか分からない世界を生きているわけですからね。誰もが手探りで進むしかない。

玉置:ただ、個人的にはそういう無常感は嫌いではありません。童話の『赤ずきんちゃん』って、何の罪のない女の子がオオカミに食べられてしまう物語じゃないですか。その理不尽さに心を動かされる、という話をした人がいて。「世界ってそういうものだよな」というぽっかりとした感覚なのですが。

おばあちゃんを見舞う心優しい女の子だったら、オオカミに食べられずに済むというような世界ではないことを見せつけられるというか。現実世界もそうですよね。どれだけ頑張っても、僕らには到底及ばない力によって、自分たちの立ち位置や活動の仕方が否応なく変わってしまうこともある。それは「諦観」ではなくて、人生の面白みとして受け取れないだろうか、と考える。世界は無常だけれども、だからこそ、そのいつ終わるか分からない時間に没頭していたいなと思います。

<INFORMATION>


オンライン・ライブハウス「LIVEWIRE」にて、初の単独配信ライブ開催決定!
公演日・チケット情報等は後日発表予定。


DIGITAL SINGLE
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