東京03がコントをやり続ける理由「漫才をやろうと思ったことは一回もない」

ー最初はお笑いスクールにも入られるわけじゃないですか。そこでコントの作り方とかも教わったんですか?

飯塚:いや、教わらないですね。色々言われましたけど、当時はめちゃくちゃ尖っていたので、知らないおじさんの意見なんか何も聞かなかったです(笑)。お笑いのならず者、当時の自分は本当最悪だったと思いますよ。

角田:皆が尖ってる時代でしたけど、その中でも飯塚さんは特に尖ってたと聞きますよ(笑)。僕はそもそも東京03の前にトリオを組んでいた時も、誘われてお笑いを始めたんですよ。お笑いもずっと意識してハマって見てきて、それから始めたわけではないので。より多く目にしていたのはコントだったけど、漫才はあまり見ないで来てるんですよね。

ーお笑いをそこまで意識して見てこなかったと仰いましたが、最初のトリオに誘われた時はすぐOKしたんですか?

角田:大学の時に、プロどうこう関係なく誘われて、そのままの流れで進んでいって。どうせしっかりやるなら事務所でも入ろうかってことになったので、スーッと入ってきた感じですよね。

ー飯塚さんと豊本さんは、そもそもこの世界に入るきっかけってなんだったんですか?

飯塚:入るきっかけは、やっぱりずっとお笑いが好きだったというのがあって。お笑いをやりたかったんですけど、自分にできるわけがないと思っていたし、性格も内向的だったので。人前で何かやるなんてもってのほかだったんですよ。でも、高校の進路相談で大学に行くか、就職するかって訊かれたときに、ここでやらなかったら後悔するだろうなってぐらい好きだったんですよね。あと、高校を卒業したのは1992年くらいなんですけど、ノストラダムスの大予言もちょっと信じてた部分があって(笑)。あと10年もしない間に地球が滅亡するんだったら、好きなことをやろうと。ノストラダムスに背中を押してもらった感じです。実際、1999年の7の月に全然売れてなかったので、愕然としましたけどね(笑)。そこで、この先ちょっと真面目にやらないとやばいなと思ったんですよね。それまではなんとなく楽しいし、テレビよりやりたかったお笑いライブも出てるし。なんとなくやりたいことはやれてるなとは思っていたけど、でも滅亡しないんだったら、しっかりやらなきゃって思いましたね。

豊本:僕も高校卒業する時に、サラリーマンも嫌だし大学受験も嫌だし、お笑いは楽しそうで上京もできるって思って、勢いでバーッと何も考えずに東京に来ました。それで養成所を探したらここだったんですね。親に最初お笑いやるって話した時も「東京に行こうと思ってるんだけど」って言ったら、「あ、そう」って言いながら競馬新聞を見ているぐらいの感じで(笑)。ほったらかしだったんですよ。

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