ジミー・ペイジが大いに語る、レッド・ツェッペリンの歩みとギタリスト人生

ツェッペリン初ライブの記憶

ーこの本を仕上げるにあたって、自身のアーカイブを詳しく見直したと思います。中でも最も興味深かった再発見は何でしょう?

ペイジ:僕がペンとインクで描いたイラストがある。僕が学生だった頃に見たスキッフルのグループだ。ギターを弾くきっかけになったのはスキッフルだった。キャンプファイヤーのように歌いながら演奏する。それでも僕がギターに入るきっかけになった。あるスキッフル・グループは、茶箱にほうきを取り付けてベース代わりにしていた。茶箱のベースにギターが加わり、その場の雰囲気を巻き込んでいく感じさ。スキッフルはどちらかといえば民族音楽のようなものだ。君は本物のスキッフルを体験したことはないだろう。僕はそのスキッフル・グループを、ロックンロールの感覚で見て聴いていた。当時の僕はロックンロールすら写真で見る程度で、よく理解していなかったけどね。そういう意味でこのイラストはとても興味深い。

ーその他に何かありますか?

ペイジ:セッションの記録かな。『レッド・ツェッペリン I』の制作に取り掛かった頃の、初期のスタジオ・セッションを振り返るのは楽しい。夜10時とか夜11時とか記録されている。スタジオは営業時間外だ。当時のレッド・ツェッペリンはそれから1年後の僕たちとは違って無名だったから、誰も使っていないそんな時間帯にしかスタジオに入れなかったのさ。でも実に効率よくやっていた様子が伺えて興味深い。スタジオでの作業は(1968年)9月だった。30時間でレコーディングとミキシングを終えて、10月までにアルバムを完成させた。北米でリリースされたのは翌年1月の第1週で、僕たちはLAとサンフランシスコで演奏した。

アルバムがリリースされると、まずアンダーグラウンドのラジオ局でかかった。すると山火事のようにあっという間に北米中に広まった。西海岸から東部までツアーしたが、どの地下クラブも満員になった。人々は既にアルバムを聴いて僕らの曲を知っていた。サンフランシスコでの評判が広まると、実際にどんな奴らだか見てやろうという興味が湧いたのさ。そして1969年の終わりに次のアルバム『レッド・ツェッペリン II』がリリースされると、デビューアルバムにも興味が集まって殺到した。2ndアルバムの大半は正にツアー中にレコーディングしたから、ロードのエネルギーが詰まっている。バンドの立ち上げとしては幸先が良かった。

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新刊『アンソロジー』に掲載されたレッド・ツェッペリン初ライブの写真(見開き右側)。バンド名義はニュー・ヤードバーズ。1968年9月7日、デンマークで行われた。(© Jimmy Page Archive 2019)

ーニュー・ヤードバーズ名義でコペンハーゲン近郊の街で行った、レッド・ツェッペリンの初ライブからの素晴らしい写真も何枚か掲載されています。今見返してみてどう感じますか?

ペイジ:どのライブかは具体的によく覚えていないが、確か大学か高校で演奏した時、宿泊できる部屋に案内された。僕は暗闇も怖くなかったから食器棚の中で寝たんだ。初期のライブといえば、そのことだけはっきりと覚えている。

北欧の観客の前で演奏する機会があった時、何だか圧倒されるパワーのようなものを感じた。エネルギーを受けてこちらが押し返すようなダイナミクスだ。さまざまな特性とさまざまな光とダイナミクスと視点があって、集中して聴くこともできないような何かがあった。その時僕らは、まだレコーディングしていない新曲を演奏した。観衆の前で演奏することで、彼らの生のリアクションを吸収できたんだ。リアクションは自然と起きるものだから、僕らにさらなる自信を与えてくれた。それからすぐに、僕らは(ロンドンの)オリンピック・スタジオへ直行したのさ。

Translated by Smokva Tokyo

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