ジミー・ペイジが大いに語る、レッド・ツェッペリンの歩みとギタリスト人生

バンドのコンセプトが完成するまで

ーザ・ヤードバーズ後、レッド・ツェッペリン結成のヴィジョンはどのように生まれたのですか? ジョーン・バエズの「ゴナ・リーヴ・ユー」などのカバー曲がヘヴィなブルーズに合うなどのアイディアはどこから来たのでしょうか?

ペイジ:この本からも明らかなように、僕はあらゆるものを取り入れてきた。11、12歳の頃にジェフ・ベックと出会った。それからとんでもなく長い時間が経っている。彼にはよく、僕のレコードコレクションは誰よりも本当にジャンルが幅広い、と言われた。確かに、インド音楽、アラビア音楽、クラシック、アバンギャルド、エレクトリックなど多種多様だった。

そして僕はアコースティックギターを始めた。いまだにアコースティックギターを弾くのも曲を聴くのも好きだ。フォークでもクラシックでもブルーズでもね。ジャズは素晴らしい。自分で演奏することはないが、50年代のシカゴのリフを中心とした音楽に大きな影響を受けている。そしてブルーズの前にはロカビリーを聴いて夢中になった。僕は何か新しいスタイルで弾きたいと思った。ヤードバーズとレコーディングすることになった時、エレクトリックだけでなくアコースティックギターも演奏した。そうして「ドリンキング・マディ・ウォーター」のようなブルーズ曲から、「グリンプシズ」や「ホワイト・サマー」などのアバンギャルドまで幅広いジャンルの曲ができたのさ。

ヤードバーズと地下クラブを演奏して回り、バンドが終末を迎えた頃には、自分のやりたい方向性が見えていた。その時点で既に多くの曲のアイディア持っていたのさ。面白いことに、楽曲「タンジェリン」は既にできあがっていたが、(レッド・ツェッペリンの)3rdアルバムまで温存しておいた。もしデビューアルバムで成功したら、次はどうしようかと考えていたのさ。前作とは違うものを出すべきだ、と思っていた。



ーそのようなコンセプトをどのように実現したのでしょうか?

ペイジ:レッド・ツェッペリンを結成した頃、既に素晴らしいリズムセクションがいた。僕はロバート(・プラント)を家に呼んで、僕がやりたいと思っていることなどを話し合ったんだ。そして何曲か弾いて聴かせた。その中に「ゴナ・リーヴ・ユー」もあった。既にギターでどう表現しようか考えてあったからね。僕は「これらの曲は少し難しいかもしれないが、ジョーン・バエズのあの悲壮感が漂うメロディーラインを君が歌うことができたら、どんなにフィットするだろう」って伝えたのさ。試しに歌ってみた彼は、「おお、すごい」という感じだった。二人の心が通じ合う素晴らしい瞬間だった。

だからリハーサルに入る頃には、本当にいい感じだった。4人それぞれがフル回転して、一人ひとりの人生を一変させるような体験をしていたんだからね。演奏を終えた僕らは、お互い顔を見合わせて笑顔になった。これまで他のミュージシャンとやってきた中で、こんな化学反応を感じたことはなかったからね。そして、その化学反応がそのままバンドとしての活動にも継続した。

Translated by Smokva Tokyo

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