ジミー・ペイジが大いに語る、レッド・ツェッペリンの歩みとギタリスト人生

ジミー・ペイジが持ち込んだ「ある機材」

ー本には、シタールを弾くあなたの姿を撮影した1962年の写真があります。当時ザ・ビートルズが「ラヴ・ミー・ドゥ」を出したかどうかという時期です。そのように早期に、あなたをインド音楽やアバンギャルドへ向かわせたきっかけは何でしょうか?

ペイジ:英国にはBBCワールドラジオとラジオ4があって、時たま世界のどこかの音楽がかかる。そこで初めて(作曲家)クシシュトフ・ペンデレツキの「広島の犠牲者に捧げる哀歌」を聴いた。シリアスでアバンギャルドな楽曲だ。その曲を聴いて自分の耳を疑った。インド音楽のシタールを聴いた時も、同じような感覚だった。とても美しいと思った。インドのミュージシャンがシタールの弦をベンドしているのはすぐにわかった。ブルーズやロカビリーのミュージシャンもギターの弦をベンドしているからね。とても洗練されながらも情熱的で、さまざまな音色を出していた。インド音楽には、確立されたサイエンスが感じられた。数学的でもある。「ギターでも似たようなことはできるだろうが、自分でシタールを弾いてみるべきだ」と考えて、やってみたのさ。

ロンドンのコンサートホールでラヴィ・シャンカールと会う機会があった。共通の女性の友人がいたんだ。彼女が彼を紹介してくれた。彼と会った部屋の中で、僕らが一番若かったことを覚えている。彼はとても思いやりのある人だった。彼は僕に、シタールのチューニングのやり方を教えてくれた。僕は知らなかったからね。帰ってから僕は教わった通りにチューニングを合わせてみた。すると僕のシタールが突然歌うように鳴り出したんだ。とても不思議な体験だった。



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デッカ・スタジオでドラマーのボビー・グレアムと楽譜をチェックするペイジ。60年代半ばにペイジは数多くのセッションをこなしていた。(© Jimmy Page Archive 2019)

ーインド音楽への系統、テレミンの演奏、バイオリンの弓を使ったギター演奏など、あなたがロックにアバンギャルドなテクニックをどれほど持ち込んだか知らない人も多いと思います。

ペイジ:そうだろうね。セッションミュージシャンとして僕が持ち込んだもののひとつがディストーションボックス、つまりオーバードライブボックスだ。当時はファズボックスと呼んでいた。あるセッションで会った(電気エンジニアの)ロジャー・メイヤーが、「エレクトリック音楽のギターで、あったらいいなと思う物はあるかい?」と聞いてきたんだ。「もちろんあるさ。これが欲しいんだ」と答えて、僕はギターの歪んだサウンドを聴かせた。当時持っていたテープレコーダーのマイク入力端子にギターを直接つなぐと、とても歪んだ音が出た。弦を弾くと、究極のサスティーンが得られたのさ。

しばらくして彼は、このボックスを持って戻ってきた。当時スタジオワークをしていた僕は、アンプの後ろに彼の作ったボックスをいつもセットしていた。とても小さなボックスだった。セッションプロデューサーはよく「この曲に何か付け加えてくれないか?」とリクエストしてくる。そこで僕はまずリフを弾いてみて、次に「これはどうかな」と言ってファズボックスをオンにする。すると僕よりも7歳は年上の周りのギタリストたちは、顔を真っ青にするのさ。「このガキはこれまでのギターの役割というものを大きく変えた上に、何か新しいものを持ち込んできた」とね。とにかく噂はすぐに広まって、僕は多くのセッションに呼ばれるようになった。「お前のファズボックスを持ってきてくれ」って感じさ。

ーザ・フーやザ・キンクスのセッションにもファズボックスを使ったのでしょうか?

ペイジ:ああ、使った。キンクスの1stアルバムでファズボックスのサウンドが聴ける。確か、フーの「アイ・キャント・エクスプレイン」のB面曲「ボールド・ヘッデッド・ウーマン」の中のいくつかのフレーズでも使った。


Translated by Smokva Tokyo

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