ビリー・ジョーが選出、グリーン・デイを象徴する15曲

1.「409 イン・ユア・コーヒーメーカー」
『Slappy EP』(1990年)

Bob Berg/Getty Images

ちょうど高校を中退したときで、完全に途方に暮れていた。放置されたデイドリーマーって感じだった。その先どうなるか、まったく見当がつかなくて。たぶん、俺がソングライターとして最も正直なのは、そんなふうに途方に暮れたときだと思う。だから、あのときは悲しい気持ちを底力を呼び起こす何かに変えようと思った。それが「俺の関心はこの鎖を断ち切ることに憧れる/将来の俺の目的を制御するこの鎖を」だよ。これ以前の俺の曲は全部何かに夢中になることだけだった。この曲は自分の中の異なるバージョンという感じだね。この曲をライブで演奏し始めたときのことを覚えている。みんな、この曲を即座に理解した。特に、当時同じシーンで活動していたパンクス連中がそうだった。俺たちはファースト・アルバムとEPをリリースしなきゃいけなかったけど、ソングライターとしての自分のリズムを実感したのがこの曲だ。当時18歳だった。




2.「2000 ライト・イヤーズ・アウェイ」
『カープランク』(1992年)

Anthony Pidgeon/Redferns/Getty Images

グリーン・デイで行った最初のツアーで、ミネアポリスのハウスパーティで妻のエイドリアンと出会った。手持ちのレコードが品切れしてしまったので、彼女が住所を聞いてきたんだ。その後、連絡を取り合うようになり、ペンパルみたいな感じだった。電話で話す時間が増えて、電話料金もうなぎ登りだった。

その後、グリーン・デイでミニツアーを決定した。俺たちはカリフォルニアからミネソタまで車を運転して行ったんだ。ライブは4回だけだったのに、ウィスコンシンとミネソタまで車で行った理由は誰にもわからないけど、俺はとにかくエイドリアンに会いたい一心でミネソタに向かった。そして、カリフォルニアに戻る途中で「2000 ライト・イヤーズ・アウェイ」を作ったんだ。この曲は自然に生まれたよ。これをアコースティックギターでプレイして、それをカセットテープに録音して彼女に送った。自分が大好きな人の歌を作ったとき、相手の反応がどうかなんて知る由もない。「もう、あなたってまるでストーカーね!」と言われないことを願うばかりさ。ところが、この曲はあれ以来ずっと俺たちのライブの定番だ。この曲がきっかけで、その後彼女のことを歌った曲をたくさん、たくさん、たくさん作ってきた。ほぼ30年間に渡ってね。




3.「ウェルカム・トゥ・パラダイス」
『カープランク』(1992年)『ドゥーキー』(1994年)

Ken Schles/The LIFE Images Collection/Getty Images

郊外の実家からウエスト・オークランドの倉庫に引っ越したんだが、ここはネズミは出るし、近所の連中も相当イカれていて、クレージーなパンクスと友人がたくさんいた。家賃は週50ドルだったけど、これは最高だった。だってバンドをやっているとなんやかやで週に200ドルくらいしか稼げないから、週50ドルなら支払えたし、トップ・ラーメンでも食えたし、ハッパも買えたのさ。

あれは開眼するような体験だった。突然、俺は一人暮らしになったし、住んでいた地区はオークランドでも最低な所だった。通りのあちこちが陥没しているし、家は壊れているし、ゲットーはあるし、そんな地区のど真ん中に住んでいるわけだ。怖いし、当然「ここからどうやって脱出したらいいんだ?」と考える。その後、突然、ここに愛着を感じるようになるんだ。ジャンキーやホームレス、ギャングの抗争といったものに囲まれて暮らしていると、その環境に共感するようになる。「駅で銃声が一つこだまする/もうひとりのガキがキレて死体を残して去った」では、俺が住んでいた地区のことを表現した。脚色は一切ない。これはライブで盛り上がるのに最高の曲だ。ブリッジ部分の流れはその後の未来を暗示していると思う。何が起こるのか知っていても、知らなくてもね。


Translated by Miki Nakayama

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