映画『ローリング・ストーンズ・イン・ギミー・シェルター』公開から50年、ストーンズのアメリカ制覇の手法を読み解く

メイズルス兄弟はストーンズのUSツアーの大半に参加できず、11月末に行われたニューヨーク公演にだけ参加できた(ズウェリンは編集段階で参加)。そうはいえども、メイズルス兄弟は威光すら感じられる演奏で観客に集中砲火を浴びせるストーンズの姿を余す所なく捉えている。映画の冒頭で「俺たち、お前ら一人ひとりを見てるぜ」と言ってミックがファンに流し目を送る。「お前らの最高の姿を見せてくれ。なあ、ニューヨークシティのみんな、喋りすぎだ……俺たちがお前らを見る番だぜ!」と。キース・リチャーズがアラバマにあるマッスル・ショールズ・スタジオのソファーに寝そべり、満足げな表情で「ワイルド・ホース」のプレイバックを聞きながら、ミックのヴォーカルに合わせて「I’ve had my freedom, but I don’t have much time」と唇を動かす。その顔は信じられないほど若く、純粋だ。ホテルの一室でキーフとミックが「ブラウン・シュガー」のラフミックスを聞いているとき、飛び跳ねるその姿は浅はかな子どものようだ。記者会見では「サティファクションは見つかったか?」と聞かれ、ミックは自分の状況を「経済的には不満、セックスは満足、悟りは努力している最中」と答える。



さらにミックはストーンズのUSツアーを、12月6日にヒッピーの聖地であるベイエリアで開催される無料フェスティバルで開催したかった理由を説明する。曰く「そこでは小宇宙的な社会ができあがっていて、彼の地以外のアメリカ国内で今後大きな集会が行われる場合の良い例となるから」。

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それはそうなのだが、目論見通りとは言えなかった。今ではこのフェスティバルがどのような形で終わったのか、誰もが知っている。コンサート会場は開催36時間前に荒れ果てたオルタモント・スピードウェイに変更された。そして、ビリヤードのキューを手に持ち、そのキューで流血するまで観客を叩きたおすヘルス・エンジェルズがステージを制圧した。ミックは「兄弟姉妹よ、もうやめてくれ! みんな、冷静になってくれよ!」と言って事態の鎮静を試みる。前列にいたヤク中がスミス&ウェッソンの22口径ピストルを手に持って振っていると、バイカーたちがこの男をナイフで刺し殺す。この模様はカメラに収められており、この数十センチ先でストーンズが「アンダー・マイ・サム」を演奏している最中の出来事だ。

オルタモントの2日前、グレイトフル・デッドがフィルモア・ウェストで最高の新曲を発表した。新たなヒッピー族のユートピア的夢がテーマの「Uncle John’s Band」がそれだ。もしもグレイトフル・デッドがオルタモントでプレイしていたら…と想像するとかなりシュールな光景が目に浮かぶ。ジェリー・ガルシアが観客席で暴れまくるバイカーたちに向けて「お前は優しいか?」と歌っているシーンが、『〜ギミー・シェルター』に入った可能性があるわけだから。しかし、デッドは暴動の可能性を事前に耳にしており、“悪いけど俺らはやめとくぜ”とばかりに出演を取りやめた。その代わりに、ガルシアとフィル・レッシュが楽屋でこの暴動の知らせを受けて、ジェリーが「なんてこったよ、参ったな」と言い、ついでフィルが「それって間違ってるよ、まったく」と言うシーンが『〜ギミー・シェルター』に挿入されている。

オルタモントにヘルス・エンジェルズを連れてきた張本人がグレイトフル・デッドだったが、映画ではその経緯には触れられていない(デッドのマネージャーのロック・スカリーは「エンジェルズはまともな連中だ。名誉と尊厳を持ったやつらだ」とストーンズに教えた)。しかし、危なげな雰囲気が漂い始めると、デッドは最も近いヘリコプターに飛び乗った。その結果、ストーンズがステージに登場するまでの2時間、一切音楽が演奏されない空白の時間ができてしまったのである。これが状況をさらに悪化させた。グレイトフル・デッドの公式年代記編者デニス・マクナリーが書いた本『A Long Strange Trip』では、オルタモントから逃げるヘリコプターの中で、デッドは夜空を見ながら占星術の話をしていた、と記されている。

デッドの歴史に存在する奇妙な要素の一つがごろつきたちへの執着で、デッドはタフな男たちに振り回されたいという欲求を消せなかった。それもバンド内でも、バンド外でも。オルタモントの一件はデッドがバンドとしてエンジェルズに憧れを持っていたことに起因していて、このとき、彼らの執着も欲求も完全に満たされたと一般人は信じている。しかし、デッドはこの事件をストーンズのカルマのせいだと責めたのである。スカリーは「ストーンズのせいだ、ホント。あのシナリオは連中が作ったんだ。払った金の分、しっかりやってもらったってこと。Let it bleedさながらにね」とローリングストーン誌に語った。それから数週間後、デッドはこの一件をテーマにした楽曲を公開した。それが「New Speedway Boogie」。歌詞を書いたロバート・ハンターは現場にいなかった。彼は映画『イージー・ライダー』を見たいがためにフェスティバルに行かなかったのである。これは、あの日最も分別のある決断だった。

Translated by Miki Nakayama

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