マイリー・サイラス激白「生死を分ける27歳」で気づいた本当の自分

曲を書くことは犠牲的行為だと感じる

ー自分にとっての喜びを再定義したということでしょうか?

何かをやめるのは得意なの。そこにマリファナ吸引機があるでしょ。わたしはそれで吸ったことはなくて、中身は満タンのまま。でもそれがもしコカイン吸引器だったら、中身は減ってるかもね。そういうこと。わたしは決して依存してるわけじゃない。欲しかったら吸ってもいいよ、ご自由に。わたしにとって一番の喜びは、自分の可能性を最大限に発揮できてるっていう実感なの。見えない壁を突破した瞬間に、わたしは何よりも興奮する。

ー野火で自宅を失ったことは大きなショックだったと思います。2018年末の時点で、それはあなたの生活にどう影響していましたか?

あれはある意味、わたしが自分でできなかったことを代わりにやったのかもしれない。本来の目的を果たせなくなったものを、ひと思いに消し去ったわけだから。人は溺れそうになったら、自分を救うために救命胴衣に手を伸ばす。結局のところ、わたしにとって結婚はそういうものだったんだと思う。自分を救うための最後の手段ってわけ。

ーあなたが声帯の手術を受ける前に発表した最後のソロ曲「スライド・アウェイ」は、結婚生活の終わりを告げるリアルなステートメントのように思えました。あの曲はいつ書いたのですか?

当時は結婚生活がまだ続いていて、マリブの家に住んでた。だから「丘の上に家を建てたい」って歌ってるの。「ウィスキーもピルもいらない」っていうフレーズは、あそこから出たいっていう気持ちの表れ。あの頃のライフスタイルを、わたしは終わりにしたかったの。アートと暮らしのどっちが先に来るべきなのか、わたしにはわからない。アートは暮らしの模造品なのか、それとも暮らしがアートの模倣なのか。あるいは、ただ口にしたことが現実になってしまうのか。曲で歌ったことが現実になってしまうほど、わたしは力を持ってるってことなのか。



わたしは時々、曲を書くことは犠牲的行為だと感じるの。その曲は誰かを傷つけるかもしれないけど、作り手は少しだけ寂しさを紛らわせられるから。とことん真摯な曲を書くことに、意味なんてあるのかなって疑問に思うこともある。ドリーが言ってたの、あらゆる物語には2つの面があるって。自分の物語を語るとき、それがフェアなのかどうか。そんなつもりじゃなかったとしても、その曲は誰かを傷つける。「エンジェルズ・ライク・ユー」のような曲は、共感できる人ほど聴くのがつらいかもしれない。「わたしが去っていく日、2人が出会わなければよかったのにとあなたは願う」。音楽は犠牲になり得るの。

Translated by Masaaki Yoshida

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