My Hair is Badの今しか出せない「想い」と「記録」、その背景を3人が語る

My Hair is Bad:写真左から、山本大樹(Ba, Cho)、椎木知仁(Gt, VO)、山田淳(Dr)(Photo by 藤川正典)

ツアーごとに規模を拡大するがそのたびにソールドアウト、ロックファンから熱く支持されるに留まらず、「マイヘア登場以前/以降」と分けられるくらい、各地のライブハウス・シーンに大きな影響を与えるなど、ここ数年、破竹の勢いで突っ走ってきたMy Hair is Bad。

2020年3月末のさいたまスーパーアリーナ2デイズを、新型コロナウイルス禍で阻まれて以降、その快進撃をストップさせざるを得なくなったが、11月から次のアクションが始まった。まず、地元である新潟県上越市の高田城址公園野球場で、無観客で収録したライブ映像作品『Youth baseball』を、11月29日に配信で発表。そして、3曲入りのニューシングル『life』と『love』の2作品を、12月23日に同時リリースする。



『life』はCDのみで、『love』は配信のみ。My Hair is Badは楽曲をサブスクに解禁しておらず、『love』の3曲がその初の作品になる。そして『Youth baseball』は、3人のパフォーマンスがすばらしいというのはもちろんあるが、それ以前に、既存の「バンドの配信ライブ」とも、既存の「バンドでライブをやって収録したもの」とも違う、この形でしかできないライブ映像作品になっている(詳しくは後述)。それらの作品について、新型コロナウイルス禍以降のバンドの状況について、3人に訊いた。



自分のライブ映像を観直して、違和感があった(椎木知仁)

─シングル2作で1作をCDのみ、1作を配信のみで出そうというアイデアは?

椎木知仁(Gt.Vo):もともと、コロナでこういう状況になる前から、シングルはリリースしたいって言ってたんですけど。で、こういう状況になって、どんどんライブがなくなって、家でひたすら曲を……不安になって、どんどん作るんで、デモが貯まっていって。それをメンバーとかスタッフに聴かせたら、「思い切ってシングル2枚出したらいいんじゃないのか」って。

─アルバムを作れるくらい曲があった?

椎木:そうですね、イントロとAメロまでだけ作った、とかも合わせると、20曲以上あったんですね。それで、CDと配信で出すというのは、うちの(マネージメントの)社長が提案してくれて。僕ら、サブスクもやってないので。僕はサブスクやってみたいってずっと言っていたんですけど、でもCDをないがしろにしたくもないし、かといってCDだけというのも、腑に落ちなくて。結局、CDと配信で別の曲で出すことで、どういう形になろうと、My Hair is Badに触れてくれるならいいかな、と思って。この出し方、ちょっとおもしろいし。

─それに至るまでの時期は──2月末からコロナ禍でライブが止まってしまって以降は、どんなことを考えたか、どんなことをしていたか、それぞれ教えていただけますか。

山本大樹(Ba, Cho):僕の中では、ライブ=生活なんで、急に目の前のものがなくなってしまって……それでも気持ちは切らさないようにするには、どうしたらいいのかな、と考えつつ。だからひとりでスタジオに入ったり、ライブの体力が落ちないために、太ったりしないように……とにかく、生活がだらしなくなんないようにしてましたね。

─走ったりとか?

山本:してましたね。もし、急にライブができることになったら、その時に、久しぶり感が出るのはほんとにイヤだったんで。動けなかったら、お客さんに「ああ、サボってたんだな」って気づかれるじゃないですか。

─山田さん、同じ質問ですが──。

山田淳(Dr):僕もほんとに、バヤリース(山本)が言ったとおりの感じでしたね。最初は休み感覚で過ごしてたんですけど、コロナの状況がひどくなってきて、「いつライブできるんだろう?」みたいな。

─で、個人練習したり、鍛えたり?

山田:してましたね。筋トレで体重、10キロぐらい落としました。

─へえ! ジムも閉まってたのに。

山田:だから、ダンベルとか買って。それこそ緊急事態宣言以降は、ひとりでスタジオに入ることもできなくなったから、せめて筋トレくらいは……自律神経にいいのは筋トレ、っていうのもあって、続けてました。

─で、椎木さんはとにかく曲を書いていた。

椎木:そうですね。4月の第一週の終わりぐらいから、緊急事態宣言で、誰かと会うこともできなくなったじゃないですか。そこから6月頭まで、スタジオにも入れなくなって。だから僕はもう、5月が地獄でしたね。めちゃくちゃつらかったです。とにかく曲を書いていて……一所懸命やってたんですけど、今思えば5月病みたいな。曲を書くか、Netflixか、お酒、その3つをグルグルグルグル回してる感じでしたね。それで、5月の終わりぐらいに、もうきつくなってしまって、「一回みんなでミーティングさせてください」って言って。リモートで、メンバーと、チームのみんなと、社長と、会議をして。その時に「じゃあシングル2枚出してみよう」とか、「そのあと映像を撮ってみよう」とか。そこからですね、具体的に動き出したのは。

─他に5月にやっていたことはあります?

椎木:自分の今までの音源を聴き直したり、ライブの映像を観たりして……なんか、自分じゃない人がやってるみたいに思ったり。あと、久しぶりにmixiにログインして、昔の写真を見つけたり……なんか、変な時間でしたね。

─冷静に自分の過去を掘っていくような。

椎木:そうなんです。ちょうど僕、4月頭に引っ越して。新居で、まだ思い出がない部屋で、今までの思い出を見返してるというか。そうやって、冷静に自分のことを見たら……不思議な気持ちでしたね。すごい違和感もあったし。映像の中で、自分が「行くぞ東京!」とか叫んでる姿に、「なんでこんなことやってんだろう? こんな言い方しなくていいのに」と思ったりとか。毎年100本以上とか、200本近くとか、マヒするぐらいライブをやってたから、気づかなかったんですけど、普段の自分と、ステージに上がってる自分って、全然違うんだな、っていうことに、改めて気づきましたね。

─そこで、今後はどうしようと思いました?

椎木:これからステージに上がるにしても、もっと自然でいられるようになりそうだな、もっと普通にみんなに話したり、思ってることを普通に叫んだりできそうだな、と思いました。なんか違和感ありましたね、それまでの自分に。

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