17歳の美少女、ビアンカ・デヴィンズの短い生涯と拡散された死|2020年ベスト

精神病院での療養、そして快方へ--と誰もが信じていた

2018年10月には、ビアンカはオルバニーにある居住型収容施設、聖アンヌ病院に移送されていた。つまり彼女は、2018年の大半を家族から離れて過ごしたわけだ。聖アンヌ病院はビアンカにとって「人生最良の出来事」だった、とキムは言う。気の合うカウンセラーも見つかり、自殺志向や自己破滅的な行動を抑えるための認知行動療法も受け始めた。ビアンカも同じ気持ちだったのだろう。母の日のInstagramの投稿には、家族写真に自分の顔を合成で付け加え、リマーとキムに、離れていても力になってくれてありがとう、と感謝を述べている。「いろんなことを学んだわ。2人には今まで以上に感謝してる」と彼女は書いている。「2人が私のことを誇らしく思えるようになりたいな。2人のために頑張るわ、だって2人とも大好きだもの」

2019年2月、ビアンカは自宅に戻り、再びプロクター高校に通い始め、ついに卒業式を迎えた。本人も含め、誰から見てもビアンカの症状は劇的に回復していた。「今までないくらいハッピーだわ。全てにおいて順調よ」とは、2019年5月にQ&AアプリTellonymでの彼女の投稿だ。「もうすぐ18歳になるの。2年前の自分を振り返ってみると、ヤバいって感じ」。 彼女は大学進学を志し、いずれニューヨーク市内の大学に通いたいと思っていた。「すごくいい感じでした」とクロエ。「症状も良くなってて、人生がいい方向に向かいつつありました」

ビアンカは昔の友達と連絡を取り始めた。その中には元恋人のワードもいた。キム曰く2人はいつも一緒で、ほぼ毎日彼女と話していたとワード本人も言っている。彼もビアンカと別れた後何人かと付き合ったが、「どの女性も彼女ほど特別な存在にはならなかった」そうだ。彼女の死の直前、彼は彼女に気持ちを伝えるつもりだったという。だが実際に2人が最後に交わした言葉はエリア51のミームについてだった。

事件が起こる1年ほど前、ビアンカがまだ鬱のどん底にいた頃、キムはビアンカに1枚のカードを贈った。事件後、キムは娘の部屋でそのカードを見つけた。カードにはキムの字でこう書いてあった。「もし自分のために頑張れないなら、ママのために頑張ってちょうだい。あなたが生き続けなきゃいけない理由がひとつあるとすれば、それはママよ。だって、あなた無しではママは生きていけないもの」。ビアンカは努力する、戦い続けると約束した。そして彼女は約束を果たし、全ては順調に進んでいくかに思えた。「あの子のためにもう何年も戦ってきました」とキム。「やっと抜け出せそうなところだったんです」

「そんな時、あいつが彼女を私たちから奪ったんです」

Translated by Akiko Kato

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