27歳で他界した「27クラブ」のスター20人|2020年ベスト

・ジャニス・ジョップリン


(Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images)

人生最後のレコーディングセッションを終え、ハリウッドのホテルの自室に戻ってきたとき、ジャニスが孤独を感じていたのは想像に難くない。「A Woman Left Lonely」など数曲を歌いながら、彼女は自分が恋人から大事にされていないことを悟った。1970年10月4日の午前1時頃、彼女は自分のヘロイン道具を取り出し、左腕の静脈に注射した。そしてホテルのロビーへ降りていき、自動販売機で煙草を1箱買って自室へ戻った。ドアを閉め、服を脱いで、ナイトスタンドに煙草を置こうと身を乗り出した。その途中で彼女はバランスを崩し、テーブルに顔を打ち付け、床に倒れた。翌日、倒れた状態で死亡しているのが発見された。


・ジム・モリスン


(Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images)

ジム・モリスンは死後、カリスマ的人気を得た。1979年にフランシス・フォード・コッポラ監督が『地獄の黙示録』のサントラに「The End」を起用したのがきっかけだった。彼のカルト的人気の陰には、ブライアンやジミ、ジャニスと同じ年齢で他界したという偶然もある。27歳という共通項が、ジムは特別な存在で、若くして死ぬ運命だったのだ、何か奇妙なことが起きているに違いない、という憶測が広まった。ジムの恋人も同じく27歳で他界したことで、さらに謎が深まった。1994年にカート・コバーンが27クラブの仲間入りを果たす頃には、ポップミュージック界では誰もが知る伝説となっていた。


・ロナルド・マッカーナン


(Photo by Tom Copi/Michael Ochs Archives/Getty Images)

ロン・“ピッグペン”・マッカーナンは感受性が強く、少々見苦しい人物で、アルコール中毒だった。1964年、彼がジェリー・ガルシアとボブ・ウィアーの3人で結成したジャグ・バンドは、後にグレイトフル・デッドとなった。ピッグペンは12歳からずっと酒浸りで、20代半ばにはすでに肝硬変や潰瘍など複数の病を抱えていた。1973年3月8日、ピッグペンは一人、サンフランシスコ湾を望むコルテ・マデラのアパートで息を引き取った。家主が発見したのは死んでから2日経ってからのことだった。


・デイヴ・アレクサンダー


(Photo by Leni Sinclair/Getty)

ザ・ストゥージズ創設時のベーシスト、“ザンダー”ことデイヴ・アレクサンダーはグループ結成前から問題児として評判だった。高校3年生のとき、友人と賭けをして始業式からわずか45分後に中退した。ビートルズに偶然出くわすかもしれないと淡い期待を抱いて、ザ・ストゥージズのギタリスト、ロン・アシュトンと渡英したこともあった。彼はまた、インドにヒントを得たデビューアルバムの1曲「We Will Fall」や、1970年のアルバム『Fun House』の「Dirt」など、常識外れのアイデアをバンドにもたらした。だが『ファン・ハウス』リリースの数日前、アレクサンダーはフェスティバルの出演前に鎮静剤を摂取し過ぎてろくに演奏できなかったため、フロントマンのイギー・ポップからクビにされた。書籍『The 27s(原題)』によれば、彼は残る人生を薬物中毒や病気と闘いながら過ごしたという。膵炎を患うほど酒に溺れ、その後肺に水が溜まって病院に担ぎ込まれたが、1975年2月に肺水腫で死亡した。「彼はストゥージズの原動力だった」と、かつてロンは言った。「彼は時代の先を行っていたんだ」

Translated by Akiko Kato

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