SUGIZOが語る、縄文文明から日本人が学ぶべきこと

“愛と調和”ではなく“エゴと分断”になっている

-海外は一神教ですけど、日本は八百万の神という考えがありますからね。ひとつしか椅子がないと奪い合いになりますけど、沢山あればシェア出来ますよね。

一神教を否定するわけではないですが、八百万の神というのは素敵な考え方で、ネガティブな意識がないんですよね。地震でも嵐でも雷でも、神様からの何かのメッセージだと捉えるんです。その考え方って、今こそとても重要だと思うんです。2011年3月11日に大地震が起きて、それ以降たくさん水害も起きている。今年はこんなパンデミックに襲われた。それに怯えたり、そこから逃げよう、駆逐しようという考え方よりも、ここで我々は何を学ぶべきなのか、何を得て次へ行くのかが大事なはずです。我々が今までどこか正しくて、どこが間違えていたのかを見直すチャンスだと思うんです。決して否定せず、先にいくための我々に課せられた試練だと捉えることで、必ずその先に行けると思うんです。このアルバム制作を通して、そういった考え方が自分の中で育った感覚もあります。

-コロナ禍が教えてくれたこと=私たちはどのように前に進むべきなのかという、SUGIZOさんからの答えでもあると?

答えというより、提案ですかね。「愛と調和」という意識が縄文時代を1万5千年繁栄させたのに対して、今の時代は“愛と調和”ではなく“エゴと分断”になってしまっている。世界で問題になっている人種差別や宗教間の睨み合いは、調和の真逆で、自分と違うものを否定する考え方であり、それでは絶対に平和な世の中になり得ない。他民族に対するひどい抑圧、例えば今の中国が長年チベットやウイグルにしていることって調和とは真逆の手段ですよね。それは、ミャンマーにおけるロヒンギャの人たちに対してもそう。自分と違うものを否定する、抑圧、駆逐するという考え方が、長年人々の中で培われて根付いてしまっている。そこで、自分のみならず、自分の周り、この星そのものを許容して、すべてがどうすれば幸福に向かうのか、分断ではなく結びあえるのか、といったことをあらためて考えてみる提案がしたかったんです。

-コロナ禍は新自由主義、資本主義の限界を炙り出すきっかけになりましたが、ここから先の世界のあり方を誰かが提示し、そこに進んでいかないないと格差は広がっていくばかりです。そしてそれを示すのが芸術の役割の一つだと思います。

新自由主義、資本主義の本質は結局“我亡き後に洪水よ来たれ”という言葉に集約されると思うんです。核廃絶にしても、まさにそうで。その資本主義の利己的な意識がこの世界にある格差、ヒエラルキーをも生んでいる。極論を言えば、自分の理想の世界というのは、人間が滅びた後の生き残った人たちでまた再構築される世界なのかもしれない。出来ればその前に人々が気づいて良き方向に向かって欲しいなと思うのですがね。

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