AUTO-MOD山岡重行と手島将彦が語る、閉塞した社会におけるサブカルチャーの重要性

ー少数派を差別対象に見るというのは、集団心理的なものなのでしょうか?

山岡:少数派をネガティブに見る傾向があるんです。錯誤相関(Illusory correlation)と言うんですが、多数派と少数派の2つの集団があり、一人一人の情報をスライドで映していく。その中で、ネガティブなことをした人もいるんですがその割合を2つの集団で同じにしておくんです。全部のスライドを見てもらった後で、ネガティブなことをした人はそれぞれどれくらいいたか? と訊くと、少数派に多いと認識する傾向があったんです。どうにも人は、少数派の方にネガティブなところを強調して見てしまう心理があるみたいですね。

手島:日本だとエンターテインメント、芸事に属する人たちって、士農工商の時代で言うとその枠から外れたある種のネガティブな少数派に捉えられている部分もあると思うんです。その辺はいかがなのでしょうか?

山岡:江戸時代、例えば役者は河原乞食って呼ばれたり、吉原の遊郭も士農工商から外れた人々で、遊郭は通常の社会とは完全に別世界で、ほぼ治外法権的な扱いをされてきたわけです。でも、花魁や歌舞伎役者は江戸時代のファッションリーダーでした。ある意味で、階級社会の外にいる人たちの影響を上の階級の人が受けるというのは、日本独特なポイントなんです。ヨーロッパの歴史だと、王様たちを楽しませるための弦楽四重奏などもありましたけど、それはある意味で正しい音楽ですよね。宮廷の正しい音楽がオーケストラやオペラになり下位の階級に伝わるんです。でも、日本の場合、正しい音楽という認識はなかったと思うんです。もちろん宮内庁には雅楽部がありますけど、それ以外の音楽を否定したわけじゃない。お神楽など階級が上の人たちに近い音楽を庶民もやっていたし、庶民の中で流行ったもの、例えば琵琶法師の語りを偉い人たちが聴くこともあった。琵琶法師の社会的な地位は低かったので、もちろん差別した人もいたでしょうけど、受け容れた上位の社会階層の人もいたんですよね。日本の場合は音楽やファッションでも、完全に上から下という形だけじゃなくて、下から上に江戸時代の町人文化が侍階級などにも影響してきました。日本は、階級意識とは無関係に芸事を許容してきたのだと思います。

ー現代の音楽やエンターテインメントの世界で考えると、手島さんはミュージシャンや芸能人の社会の中での存在感が薄くなっているのでは、という話もされてきましたよね。

手島:僕が感じるのは、ミュージシャンや芸能人が普段から物を言わないということで。例えば、東京ロッカーズの方たちって、社会に対してアンチテーゼやカウンター的なことをたくさん言うわけですよね。もちろん流行や時代背景の関係もあると思うんですけど、いつからか、そういうことを言うのが格好悪い雰囲気になってしまった。できるだけ当たり障りのない話題に触れていく流れになってきている。そうなると、社会の中での存在感が薄くなっていくと思うんです。一方で、ある種の少数派の人たちはカウンターとしてすごい力を持っているはずなんです。なのに、自らそれを放棄してしまうことに繋がっている感じもして。ただ漠然とコンテンツとして消費されているんじゃないか、と思っているんです。

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