AUTO-MOD山岡重行と手島将彦が語る、閉塞した社会におけるサブカルチャーの重要性

ーでも、所属事務所やレーベルなどとの関係性や世間の目もあり突っ切れないというのも事実としてあるわけですよね。

手島:これからは思ったことをちゃんと発信する人の方が支持されると思いますよ。単純に流行の話で言えば、この20年くらいの共感し合いは、リスナーもそろそろ飽きてきたと思いますけどね。

ーSNSのタイムライン上で、共感できる作品やコメントが流れてきて、共感のいいねを押すことはありますけど、それもタイムラインの中で埋もれていって、一週間後、一ヶ月後まで残っているものがあまりないと感じるんです。僕個人としても、アーティストはもっと視点とか新しいものを刻みつける存在であって欲しいと思うんです。

山岡:ある意味、傷を刻みつけたいんですよね。

手島:結果的に共感するっていうこともありますからね。僕も初めてAUTO-MODを聴いた時は「なんだこれ!」と思ったんですよ。でも、その後に「あ、こういう世界もあったんだ」という共感がやってくる。最初に驚きや新しい世界に触れた感覚があって、場合によっては傷もつけられますけど、今まで覚えているくらい好きだっていう衝撃でもあるんですよ。

山岡:今度ぜひ兄貴(※AUTO-MODのボーカル・GENET)とも対談して下さい(笑)。今日の話をまとめると、元々は全部少数派のサブカルチャーだったのが、それを戦争や階級闘争みたいな時代意識で束ねていたんだと思うんですね。自分たちと違う人たちを束ねる大きいものがあったのに、それがなくなってバラけちゃったんだと思います。バラけて少数派になったのに、それに気づかないで多数派意識だけ持ち続けているんです。人間って皆自分が正しいと思いたがるんですよね。自分勝手にやって欲求が充足されて生きているのが一番楽しい。でも、それだと他人とぶつかっちゃうから調整しないといけない。その中で自分は多数派のメインカルチャーだと思って絶対に正しいと思い込んじゃうと、他人のことを平気で否定するようになるんです。コロナ禍の自粛警察がライブハウスやミュージシャンを目の敵にしたようになるんです。自分が100%正しいわけじゃないと心のどこかで思っていないと、歯止めが利かないんですよね。自分だけが正しい、それに従わない奴は間違っていると思う人々がやってきたひどいことは歴史上たくさんありますよね。

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