ローリン・ヒルが語る、アーティストの「名声」と「自己犠牲」

アーティストへの圧力は確かに存在する

ー22歳当時の自分と話ができるとしたら、何を伝えたいですか?

今の自分が知っていることを、22歳の頃の自分と共有するわ。私が今知っていることをあの頃既に知っていたなら、物事は異なる結果になっていたと思う。私はきっと人々に投資し続けたでしょうけど、私の才能とウェルビーイングをしっかりと管理してくれる、愛と逞しさ、そして誠意を持った人々だけを側におくように心がけたはず。この世界は誘惑に満ちていて、もし誰かをその気にさせることができなければ、相手はその人物が愛する人や頼りにしている人を狙おうとする。当時の私がそういうことを理解できていれば、私は自分と愛する人々を守るために、より多くの手を打とうとしたはず。



ー当時の自分の人生を振り返って、後悔していることはありますか?

悲嘆にくれ、悲しみと痛みに支配されていた時期があったことは事実だけど、後悔はしていない。そういう経験がなければ、私ははっきりとした考えを持つことができなかっただろうから。でももし過去に戻れるとしたら、やり直したいことはいくつかあるわ。子供たちを守るために、自分を守ろうとより必死になったと思う。私を操ろうとする人々や不当な圧力を、より早い時点で拒絶しようとしたはず。名声の危険さをもっと知っていれば、いろんな問題を回避できたかもしれない。『ミスエデュケーション』に本格的に携わった全ての人々としっかりと意思疎通を図り、誠実な表現のために戦ったと思う。私が求めるものをはっきりと伝え、敵対する人物をより早い段階で解雇したはず。

ーあなたは『ミスエデュケーション』以降も作品を発表し、ライブもこなしています。新たにフルアルバムを発表する計画はありますか?

信じられないことだけど、私のレーベルの人間の誰1人として、次のアルバム制作に向けて自分たちにできることはないかというような電話を1度もかけてこなかった。ただの1度もよ。信じられる? 本当に何の音沙汰もなかったの。『ミスエデュケーション』は過去に例を見ない作品だった。大半の面において、私は好きなだけ模索し、実験を重ね、自分を表現することができた。『ミスエデュケーション』以降は、数えきれないほどの障害や複雑な力関係、問題意識の抑圧、非現実的な要求、あの手この手の妨害で、私はがんじがらめにされてしまった。あのアルバムに携わった人々が自身のサクセスストーリーに私を含み、それが私自身の見解と異なっていた場合には、私は敵だと見なされた。

アーティストへの圧力は確かに存在する。詳しく語るつもりはないけれど、私は与えられるべき堅固なサポートをまるで得られなかった。私がツアーに出るようになったのは、クリエイティビティを発散するとともに、家族を支えなくてはいけなかったから。周囲の人間の目的は私の活動のサポートではなく、私を挫折させたり、自分の目的を果たすために私を利用することだった。私が確立しているインスピレーションのフローやそのスピードは、伝統的なシステムの中で機能しないこともある。何かを成し遂げようとする時は必ず、私は必要なものを自ら作り出さないといけなかった。その行為、あるいは私が健全でクリエイティブでいるために必要とするものに敬意を払い理解しようとする姿勢の欠如を、私は見過ごすことはできない。誰もそれを理解しようとせず、プロセスから生まれる利益のことばかりを考えているのでは、物事はたやすく悪い方向に進んでしまう。酷使、虐待、軽視といったことが起きるようになる。私は体系的な人種差別と、それがいかに人間の成長を妨げ害を及ぼすかについてのアルバムを作った(私の全てのアルバムは、多かれ少なかれ体系的な人種差別について言及している)。世間がそういったテーマについて堂々と議論するようになる以前にね。私はクレイジーだと見なされた。あれから10年以上が経ち、そういった声は今やメインストリームの一部になった。リーダーシップの力やシステムの変化による部分もあったとは思う。私は明らかに時代の先を行っていたけれど、あからさまな否定がその芽を摘んでしまったことは否定できない。私を公然と虐げ、排斥し、口を封じ、私が成し遂げたことを正当に評価せずにただコピーするというのは、あまりにも酷い仕打ちだった。

私は今でもツアーに出て、世界中のオーディエンスと交流を続けているけれど、当時のトラウマや抑圧、妨害、そして私自身と家族が経験したことを、私は片時も忘れたことはない。いろんな意味で、今私たちは与えられるべき自由が奪われてしまっていた年月を取り戻そうとしている。不当な抵抗、欲深さ、恐れ、そして人間のただ醜い部分を、私は嫌というほど見てきた。私にとって、自由よりも大切なものはほとんどない。スターダムには抑圧がつきまとい、仕事をしたり投資してもらう上で相手の言いなりにならないといけないのだとしたら、それに伴う様々な悲劇なしには本当に意義のある音楽が生まれ得ないことになる。私はそんなのは願い下げだわ。

最後に、あのレコードに胸を打たれたと言ってくれる人々に感謝の気持ちを伝えたい。愛、経験、知恵、家族、コミュニティからの支援など、あの時点での私が知り得ていたことがあのアルバムには詰まっていた。恋愛、夢、インスピレーション、野心、絶えることのない神のご加護、愛しい人、20代前半にしてそういったことを経験していた賢者のような自分のヴィジョンを要約したもの、それがあのレコードだった。私は大きな夢を描き、限界を設けようとせず、アーティストとしての自分の可能性と、当時の私が必要としていたものを形にすることだけを考えていた。また才能あるアーティストたちのコミュニティ、策士、実践者、友人たち、そして家族も私をサポートしてくれた。彼らは(少なくとも当時は)私が進むべき道を共に切り拓き、私を守ろうとしてくれているようだった。けれど、くだらないものを押しやるだけの力を持った何かを生み出すと、それをよしとしない人々があちこちから現れる。彼らは私たちの行く手を阻み、情熱を削ぎ、堕落させ、分断し、内部から崩壊させようと目論むかもしれない。私たちはそれをこの目で見たのだから。ヒップホップカルチャー、ソウルのレガシー、教育への熱意、他者との知恵の共有に情熱を注いだ若き黒人女性アーティストだった私は、世界に愛とタイムレスで不可欠なメッセージを届けようとした。

ごく限られた数の人々が大勢の人間の命運を握っている音楽業界では、いろんなことが複雑に絡み合っている。そういう環境で、公平さを実現させることは難しい。今の私は、できる限りの平等さと公平さを望んでいるの。私が残した作品が愛されていることには感謝しているけれど、私はありのままの自分が人として愛されることが等しく重要だと思っていて、そういうすごくデリケートなバランスを確立することはとても大切。それを実現させることが重要なの、私にとってはね。



from Rolling Stone US

Translated by Masaaki Yoshida

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