ヴァン・ヘイレンを発掘したプロデューサー、故エディの素顔を語る「彼は単なるテクニシャンではなかった」

最大の強みはポップセンス

―「Eruption」に加えて、エディはクールなインスト曲もたくさん残しています。「Spanish Fly」や「Sunday Afternoon In the Park」「Cathedral」「Little Guitars」などがそうですが、彼は曲を一人で完成させてからあなたに聴かせていたのでしょうか?

テンプルマン:「Spanish Fly」は僕の自宅で生まれた曲だよ。僕はクラシックギターを弾くんだけど、スペインで買ったRamirezのギターをエディがリビングで適当に弾いてたんだ。アコースティックギターでタッピングをやっている彼を見て、すごく面白いと思った。それを曲にしたのが「Spanish Fly」なんだ。「Little Guitars」はたしか、エディが持ってた小ぶりなギターにちなんだ曲だったと思う。彼のアコースティックな曲と相性が良かったんだ。彼はフラメンコギターも弾きこなしていたけど、決してスタンダードなプレイには終始しなかった。あのタッピングをやると、それだけで彼のカラーになるんだ。



―エドがこの世を去るまで、あなた方は交流を続けていました。それだけに、彼の死はショックだったと思います。

テンプルマン:彼がシダーズの病院に入院している間、ドン・ランディーと僕はよく電話をかけて、彼を笑わせようとしてた。しばらくしてから自宅に移ったんだけど、それ以降のことは話したくない。彼が経験していたであろう苦痛を思うと辛いから、記憶を封印しているんだ。だから彼が新車を見せにやってきたときのことが、エディとの最後の明るい思い出なんだよ。彼が初めてまともな車を買ったときと同じようにね(笑)。僕が住んでるセンチュリーシティまで、わざわざ見せにきたんだよ。僕の自宅はある独立コミュニティの中にあるんだけど、その出入り口にいる門番が僕に電話してきて「自分はエディ・ヴァン・ヘイレンだと自称している男が来ているんですが、追い払いましょうか?」って言うから、「それは本人だよ、僕が保証する」って言ってやったよ(笑)。

―ギターの神様と見なされていた彼が、フレンドリーで気取らない人だったというのは微笑ましいですね。

テンプルマン:そうだね。バックステージで知らない人から話しかけられても、彼はちゃんと応じていたからね。彼は自分のことをギター・ゴッドと呼ぶような傲慢さとは無縁の人物だった。むしろそんなふうに言われることを嫌ってたよ。メトロポリタン美術館に彼のギターが展示されたとき、僕は彼に手紙を書いたんだ。「エド、僕は君が史上最高のギタリストの1人だと思ってる。メトロポリタン美術館に君のギターが展示されたことも納得だ。君に負けないよう、僕は自作の車でインディアナポリス500での優勝を目指すから、達成したときには君もこんなふうに祝ってくれ」っていう内容のね(笑)。彼はそういうやり取りが好きだったんだ。エディはすごくスマートだった。単にギターの天才っていうだけじゃなくてね。

―彼は音楽の歴史にどのように貢献したと思いますか?

テンプルマン:どうだろうね。いろんな面で才能を発揮した彼は、すごくユニークな存在だった。アラン・ホールズワースやクラプトンなんかも名ソロを残しているけど、エディは素晴らしいソングライターでもあった。それに加えて、彼は耳に残るリフや独創的なソロを数多く生んだ。彼は単なるテクニシャンじゃなかった。誰も考えもしなかったようなアイデアを考えつき、そして実践した。目にも留まらぬタッピング、目を剥くような超絶技巧、そういう他の誰も真似できないことをやってのけるだけじゃなく、絶えず新しいことに挑戦し続けてた。決してひけらかすためじゃなくてね。ソロがどれもメロディックなのは、彼が元々ピアノを弾いていて、音楽的な素養を身につけていたからだ。彼は鍵盤の腕前もかなりのものだったからね。時々スタジオでスタインウェイのピアノを弾いていたけど、まるでプロのピアニストのようだった。

彼は独自のアプローチを確立していたと思う。だからこそ彼のソロや、デイヴと一緒に書いた曲は今も色褪せていない。曲のコード進行は、彼が一流のソングライターであることを証明している。無意識のうちに人々を惹きつけるメロディックなソロ、それが彼のトレードマークだった。ディープ・パープルのソロにさえも、彼のようなメロディセンスは感じられない。ジミー・ペイジのアプローチとも異なる。彼の最大の強み、それは曲をポップに仕上げられるセンスだったと思う。誰もが彼らの曲に夢中だったからね。まるで興味のないタイプの音楽であっても、人は真に優れたポップチューンの魅力には抗えないんだ。


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From Rolling Stone US.

Translated by Masaaki Yoshida

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