ヴァン・ヘイレンを発掘したプロデューサー、故エディの素顔を語る「彼は単なるテクニシャンではなかった」

エディ・ヴァン・ヘイレン(Photo by Fin Costello/Redferns/Getty Images)

2020年10月8日、65歳で亡くなったエディ・ヴァン・ヘイレン。ロックギターの常識を塗り替えた彼の功績を振り返るべく、バンドを発掘した伝説のロック・プロデューサー、テッド・テンプルマンの貴重インタビューをここに掲載する。

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テッド・テンプルマン
カリフォルニア州出身の伝説的ロック・プロデューサー。60年代にハーパース・ビザールの一員として活躍後、1970年にワーナー・ブラザーズ入社。ドゥービー・ブラザーズを皮切りにヴァン・モリソン、リトル・フィートなどを手掛けたのちヴァン・ヘイレンを発掘し、最初のアルバム6作をプロデュース。写真は2020年発行の自叙伝『Templeman : A Platinum Producer’s Life In Music』

1977年のある日、ウェスト・ハリウッドのStarwoodでヴァン・ヘイレンのショーを初めて観たプロデューサーのテッド・テンプルマンは、クラブから飛び出して最寄りの公衆電話に駆け込んだ。信頼を寄せるエンジニアのドン・ランディーの留守電に、彼はこうメッセージを残した。「ヤバいやつを見つけた」。彼を興奮させたのは、圧倒的なテクニックを見せつけていたギタリストのエディ・ヴァン・ヘイレンだった。当時ワーナーの専属プロデューサーだった彼が抱いていたのは、「何が何でもこのバンドを契約させる」という使命感だった。その翌日、彼はレーベルのトップだったモー・オースティンを同会場に連れて行き、その場でヴァン・ヘイレンと契約を交わさせた。

「彼らはあらゆるレーベルから却下されてた」テンプルマンはそう話す。「(KISSの)ジーン・シモンズは彼らをニューヨークまで連れていき、レコード会社との話を進めようとしたけどダメだった。だから僕がバンドのことを知ったとき、彼らは未契約で一文無しも同然だった。初めてのセッションのとき、エディの車がギターの弦で縛られてたのを覚えてるよ。ドアが勝手に開いてしまわないようにね」

彼らをスタジオ入りさせたテンプルマンは、ダイヤモンドディスクに認定されたデビュー作をプロデュースしたことをきっかけに、以降5作でバンドとコラボレートしている。「Runnin’ With the Devil」「Dance The Night Away」「Unchained」「Panama」「Jump」等をはじめ、彼はバンドと共に数々のクラシックを生み出した。デイヴィッド・リー・ロスがバンドを脱退すると、テンプルマンはヴァン・ヘイレンとのタッグを一旦解消するが、エディとは親しい友人同士であり続けた。2人はプライベート・ライフのアルバム2枚を共同プロデュースしているほか、テンプルマンはサミー・ヘイガー加入後のアルバム『For Unlawful Carnal Knowledge』にも共同プロデューサーとして名を連ねている。今年10月にエディがこの世を去るまで、2人の交流は続いていた。

「あの日、初めてステロイド注射を打ったと彼から聞かされた」。エディがガンと診断されたときのことについて、テンプルマンはそう話している。「元気そうだったけど、その2週間後に彼は入院した。しばらくは電話で話してたけど、やがてそれが叶わなくなった。それでも、『化学療法はしんどいよ』みたいな携帯メールを毎日送ってくれた。そのうちに、メールの最後に短いけど真摯な言葉が添えられるようになった。『テッド、愛してるぜ』みたいなさ。『俺を一番最初に信じてくれたのは君だった』なんていうメッセージをくれたこともあったよ。薬に頼りっぱなしになっていても、彼はいつもの彼だった」

友人が経験した苦しみを想像するテンプルマンは辛そうだったが、ヴァン・ヘイレンと共有した素晴らしい思い出の数々や、最後まで変わらなかった彼に思いを馳せながらこう語った。「彼が初めて新車を買ったときのことを思い出すよ」。テンプルマンはそう話す。「僕のところに来て、『俺のピカピカのポルシェを見てくれ』って言うんだ。1年くらい前に会ったときも、30万ドルくらいの新車に乗ってきたからね。彼はスウィートで、昔からずっと変わらなかった。『約束は4時だけど、3時に行ってもいいかい? ちょっと早いけど』みたいな気遣いができる人だった。彼は思いやりのある、かけがえのない友人だった」

テンプルマンがバンドと共に歩んだ日々、そしてロック史に名を残すヒット曲の数々を生み出したときのことについて振り返るときはいつも、無二の親友だった彼との思い出が蘇るという。「僕は仕事仲間ではなく、友人を失ったんだ」

Translated by Masaaki Yoshida

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