哀川翔が還暦前に語るターニングポイント ドラマ『とんぼ』からVシネマ、プロレスまで

―映画とは離れますけど、娯楽、エンターテイメントというところでいうと、以前、西口プロレスのリングに何回か上がりましたよね? 昔からプロレスファンだったんですか。

俺、プロレス大好きでね。だけど、西口に立つにはちょっと遅すぎたね(笑)。あれがあと10年早かったら、相当俺の中で盛り上がってたと思う。もともとタイガーマスクが大好きで、プロレスラーになりたいぐらい好きだったんだよね。もしも身体があればレスラーになったなっていうぐらい。よく一世風靡のメンバーとプロレスやってましたね。勝俣とは特に。それで仲良くなったところはあるよね。稽古もせずに2人でプロレスやってましたから(笑)。



―哀川さんはバク宙もできますし、タイガーマスクの四次元殺法的な動きもできたんじゃないですか。

たぶん、当時ならできたと思う。ロープ最上段から回転したりできたね。

―プロレスラーになるのはどうして諦めちゃったんですか?

やっぱり身体がないから。身長が178cmぐらいじゃ届かないから。今はそうじゃないかもしれないけど、当時は190cmは欲しかったなあ。

―なるほど、ご自身の中でちゃんとプロレスラー像があったんですね。

「こうありたい」みたいな、アントニオ猪木像みたいなものがあるから。でも、タイガーマスク、佐山(聡)さんが出てきたときはびっくりしたね。ヤバいレスラーが出てきたなみたいな。佐山さんは、映画『真説タイガーマスク』(2004年)に出てくれたときにお会いして、マスクをもらいました。

―本人着用のマスクですか?

そうそう。「マスク欲しいんですよねえ」って言ったらくれましたよ。

―佐山さんは昔から何をやるにも10年先を行ってるという方ですね。

そうだね。まあ10年早い分にはいいけど、俺は10年遅くやったから駄目だよね(笑)。すごく忙しかったから、他のことを考える余裕がなかったんだよね。だから、40歳を過ぎた頃からだよね、色々やり出したのは。そこでラリーと出会ったりもしてるから。これがもっと早かったら面白かったかもしれないね。でもそれだと仕事ができなかったから、それはそれで、ちょうど良かったのかな。西口もすごく楽しませてもらったしね。お客さんも、後楽園ホールでやったときは「今年で一番入りました」っていうぐらいだったから(笑)。でもあんなに疲れるとは思わなかった。体力なくなったんだなあって。そりゃそうだよね、50も後半になったら体力もないよ。ただね、俺らの年代には勇気を与えたみたいだけど。「よく動けるな~!」って(笑)。

Rolling Stone Japan 編集部

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