RADWIMPSの軌跡を読む 担当ディレクターが語るバンドとの友情

祈跡 / RADWIMPS

田家:2004年7月に発売になった、インディーズ時代2枚目のシングル『祈跡』。この曲が出た時は、まだ契約も成立していなかったし、渡辺さんはメンバーに会っていなかった。

渡辺:会ってないですね、音だけ大滝さんに送ってもらいました。

田家:その音の印象が、書籍の49ページに書かれていますね。「驚愕した、これほどのまでの曲とは思わなかった。天才、化物」と、お書きになっていました。

渡辺:聴いてて身悶えしちゃいましたね。まだ来るのか、もうやめてという感じで。どんどんすごくなっていくので、これは! と思いました。

田家:その時、会社に「このバンドをやりたいんです」と言っているんですよね。

渡辺:『祈跡』が出来ていて、洋次郎も学校に受かったので、僕も本格的にやろうと思うんです、と伝えて。物言いがついてもめんどくさいと思ったので、これやりますよという意思は伝えて。

田家:当時はレコード会社が12社も来ていた。そして、この頃にやっとメンバーに会うんですよね。

渡辺:CDを持ってツアーに出るので、そのリハビリがてらのリハーサルをする時に初めて会いました。ずっと写真と音だけは見聞きしていたけど、ついに会えて本当に嬉しかったですね。

田家:どんな若者なんだろう? と想像するわけでしょう。

渡辺:洋次郎はああいう歌詞を書くので難しい人なのかなと思っていたんですけど、人懐っこくて人間臭い人で嬉しかったですね。

田家:人間臭かったね。契約が成立した時の渡辺さんの感想は、これで新曲を誰より早く聴けるだった(笑)。

渡辺:やった! と思って。ファンなんでしょうね。

田家:メンバーが契約成立を知ったのは、アルバム『RADWIMPS 2 ~発展途上~』をリリースしたときのツアー最終日、横浜のCLUB24の打ち上げの席だったと書かれています。

渡辺:東芝EMIの人が常に出入りしていたので、そういうことなんだろうなと分からないわけがないと思うんですけど。大滝さんもいた手前、分からないフリをしていたんじゃないかな(笑)。わー! と喜んでました。

田家:その時、渡辺さんが持っていったお土産がビートルズだったという。

渡辺:ビートルズのBOXセットをプレゼントしてあげてくれないか? と大滝さんからリクエストがあって。渡したら、ビートルズを聴いた事がないから聴いてみます、と言っていました。当時19歳ですし、洋次郎はオアシスでコードを覚えた人なので。

田家:そういう中で契約が成立して、メジャーの作品が世の中に出ていく。渡部さんが選んだ3曲目、メジャー一作目「25コ目の染色体」。

Rolling Stone Japan 編集部

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