「世界一の稼ぎ頭」と呼ばれた米ラジオ司会者、右派リスナーが信者化した理由

米右派の大物司会者、ラッシュ・リンボー(Photo by Mark Peterson/Corbis/Getty Images)

嬉々としてアメリカの分断を煽り、国の政治を分極化させ、偏見と辛口を武器にキャリアを築いた米右派ラジオ番組の司会者、ラッシュ・リンボーが先週70歳で他界した。死因は肺がん。妻のキャスリンさんがFacebookで同氏の死を伝えた。

30年以上にわたって全国ラジオで活動してきたリンボーは、無礼な考えをまき散らし、しばしばフェミニストを「フェミナチ」と呼んだ。エイズを「ロック・ハドソン病」と言い続け、NFLを「武器を持たないギャングの抗争のようだ」と表現したこともあった。がんの診断を受けた後、同氏はトランプ前大統領から「祖国へのたゆまぬ献身」を認められ、2020年の一般教書で大統領自由勲章を受勲した。

1950年代にミズーリ州で生まれ育ったリンボーは、16歳の時にラスティ・シャープ名義で初のラジオ番組を担当。1980年代初期からは本名で出演するようになり、カリフォルニア州サクラメントのラジオ局で世間を騒がせて人気を博し、彼のトレードマークとなる辛辣な語り口に磨きをかけた。レーガン時代に公平性の原則――公共放送は、物議を呼ぶ話題に関して公平な意見を伝えなければならないとする政府の方針――が撤回されたことで、リンボーはここぞとばかりに右派リスナーを開拓し、彼らに格好の材料を提供して孤立化化を促した。こうしたリスナーは無条件でリンボーの思想に心酔したことから、「鵜呑み野郎(dittohead)」と呼ばれた。リンボー本人は、自らの思想やコミュニケーションスタイルを確立できたのは右派新聞ナショナル・レビュー紙の創業者ウィリアム・F・バックレー氏のおかげだと語っている。「私の信念を形成し、簡潔かつ分かりやすい言葉で表現する術を学べたのは、ひとえに彼のおかげです」

1988年にリンボーはニューヨークシティへ拠点を移し、のちに彼のホームグラウンドとなるWABCで活動を始め、自らのラジオ帝国を築き上げていった。彼は根っからのラジオ人間だったが、テレビ界にも進出。1992年から1996年にはFOXニュースのパイオニア、ロジャー・エールスと組んで番組を受け持ったこともあり、当時10代そこそこだったチェルシー・クリントンを「ホワイトハウスの犬」と呼んだ。後にリンボーは、「嫌われるのは成功の尺度とみなす」すべを教えてもらったと語っている(この際言っておこう。筆者がエールスに好意的でない紹介文を書いた際、リンボーは筆者を「完全なイカれポンチ」で「思考が麻痺したロボット」とこき下ろした)。

Translated by Akiko Kato

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