大木亜希子と手島将彦が語る、エンタメ業界で生きるための精神とお金の話

大木:私ごとで恐縮なのですが、ハフポストさんで書いた記事(「元アイドルって請求書も書けないんだ」と言われたあの日、私の魂は死んだ)で、端的に言いますとかなり大きな賛否両論がありまして。私は会社員時代に、ある得意先から元アイドルって請求書も書けないんだって言われてしまったことがきっかけで、キラキラとした自分を演じることに疲れ、3年後に会社を辞めてフリーランスとして立ち上がったんです。そこから2年たった最近また、元アイドルである私に、「講演の仕事を頼みたい。講演が終わったら打ち上げの席を設けるから、そこでウチの会社の重役にビールを御酌してほしい」という依頼が来てしまって。

手島:よくわからないんですけど、みなさん何を燃やしているんですか。

大木:お酌ぐらいして当然だとか、元アイドルというだけでライターとして下駄を履いているんだから文句を言うんじゃないと言ってくる人もいたんです。その時、ある先輩の作家さんが心配して連絡をくださったんです。私のことを尊重した上で「叩く人は、傷ついた人たちだから」と書いてあって。私にとって、叩いている人たち=傷ついてきた人たちという概念はなかったので衝撃を受けて救われました。先生の観点から、攻撃する人は傷ついてきた人たちというロジックは成り立ちますか?

手島:よく言われるのは、いじめや虐待やなんらか攻撃的な行為をしてしまう人には、それをせざるをえない理由がある、ということですね。家庭環境が荒んでいる、抑圧されている、社会的に疎外されている、とかが原因で、そのはけ口として弱い立場の人や叩きやすそうな人を攻撃するという。確かに加害する側にも、そうせざるをえない社会的な理由はあると思うんです。そこはちゃんと考えないと、問題をすべて個人のせいに矮小化してしまいます。だからこそ置かれている環境や世の中を変えていくことが必要です。しかしもう一方で、今、現に傷ついている人がいるわけです。その人のことをまず考えることなく「加害者にも理由があるんだよ」と被害者に言うのは、そのつもりがなくてもその人の痛みを軽んじるようで、さらに傷つけてしまうかもしれません。また、これまで加害者だった人が「反省しました。これから平等ね!」と言ったからといって、すぐに「はい、そうですね!」とはならないじゃないですか。まず今困っている被害者や傷ついた人をケアする、そのうえで加害者に何かそうせざるをえない理由があるのであれば、そこはなんとかしなければいけない。その2つのバランスを考えることが必要かなと思いますね。

大木:加害者を救済する仕組みという部分につながるかはわからないんですけど、仕事を辞めたいと言っている人に対して、なんでそんなことで辞めるの? と言うんじゃなくて、「あ、辞めたいんだね」って、ただ傾聴することが大切ということを手島先生のご著書を読んですごく腑に落ちて。もしかしたらアイドルもアーティストも、この世の中で職業を持っている人全てに言えるかもしれませんが、そうなんだね! って単純に受け入れてくれる構造と仕組みが少ないのかなと思います。

Rolling Stone Japan 編集部

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