岡林信康がぶっ壊そうとした「フォークの神様」のレッテル

(スタジオ)

田家:美空ひばりさんはこんな人だったんですね。目黒にひばりさんが住んでいたお宅が、今はひばり御殿として記念館になってます。ファンの方も入れるんですが、そこに中庭があって。その中庭について、係の方のひばりさんと泉谷さんが相撲を取った場所です、という説明がありました。ひばりさんと泉谷さんと岡林さんが川の字になって寝た仲なんですね。黒田清太郎さんはイラストレーターの方ですね。ひばりさんが演歌の女王、歌謡曲の女王というのと、岡林さんのフォークの神様が一緒だというのは僕も同感です。以前、この番組でひばりさんの特集をしたときに彼女のジャズのアルバムを紹介して、彼女のバックバンドで演奏していたシャープス&フラッツの原信夫さんにインタビューしました。ひばりさんは演歌の女王にならざるを得ない時期があってレッテルを受け入れていったのでしょうが、岡林さんはフォークの神様に抗い続けた。そんな違いもありますね。

続いて、1977年のアルバム『ラブソングス』から娘さんの名前でもある「みのり」をお聞きください。インタビューは『ラブソングス』と私小説についてです。



田家:『うつし絵』の後に、演歌というよりも私小説ならぬ私音楽ともいえるアルバム『ラブソングス』を出されて。「Mr.Oのバラッド」でご自身の青春のことも歌い、娘のみのりさんと息子の大介さんのことも歌っている。今回のアルバム『復活の朝』のジャケットはみのりさんのお子さん、岡林さんのお孫さんがお描きになっているんですよね。そういうお子さんの歌を歌うことは、生活の中でそういう歌になっていったんですか?

岡林:松本(隆)くんが今回のアルバムを聴いて「岡林さんの日記を読んでいるようだ」って言ってくれていて。要するに俺の歌は創作じゃないんですよ。私小説、ドキュメンタリー、ノンフィクションというジャンルだから、実際になった体験やそこでの実感が何か拠り所になって歌が引き摺り出されているような感覚があって。あの頃はやっぱり子供らとの交わりも濃いものがあったから、そういう体験が歌になったと思うね。

田家:「みのり」にはおばあちゃんやお母さんのことも書かれていましたね。

岡林:あの頃はちょうど5年間いた山村を出て、今の場所に引っ越した直後だと思うのよね。生活環境も変わって、田舎だけど過疎の山村に比べたら大変便利な場所でもあるし。そういうときに、演歌とは違ったフォークや弾き語りの世界にフッといったんやろうね。

田家:今のお住まいは相当長いんですね。

岡林:もう45年超えたかな。

田家:東京の人間関係とは違う場所で、岡林さんは有名人でいらっしゃるわけでしょう。溶け込んでいったり、同じように生活するように時間がかかりませんでした?

岡林:俺のイメージはTVも出ないし、顔も覚えられてないし。本当に俺の歌に興味があって好きな人だけの岡林信康なのよ。だから俺は電車に乗ろうが、街を歩こうが声をかけられたことはない。今住んでいるところも、俺のことを全く知らない人ばっかりだから非常に気楽でね。茄子できたからあげるとか、大根とかキャベツ欲しいからってあげたり。いわゆるファンじゃないから、歌手の岡林信康を忘れられるということやな。

田家:そういう環境が欲しくて綾部に行った。という

岡林:そういうのもあるよな。俺を神様と呼ばない人、理想はあまり人がいないところを求めていたんだけど、それは無人島しかないからね(笑)。当時の村も今は高齢化してるし、誰も俺のことなんか知らんし本当に楽だった。今のところも楽ですよ。

Rolling Stone Japan 編集部

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