インコグニートのブルーイが語る、ブリット・ファンクとアシッド・ジャズの真実

ブリット・ファンクとは何だったのか?

―(ジャケットを見せながら)ところで、この『Slipstream - The Best Of British Jazz-Funk』という1981年に出たコンピレーションはご存知ですか?

ブルーイ:よく知ってるよ! 収録されているのはみんな僕の友達だ。レベル42とインコグニートはジャイルスが初めてインタビューをしたバンドだね。


『Slipstream - The Best Of British Jazz-Funk』(筆者の私物)。ブルーイが参加したフリーズやライト・オブ・ザ・ワールド、フュージョンの人気バンドであるシャカタクなど12組が参加。



―ここに収録されているバンドが活動した、ブリット・ファンクがどんなムーブメントだったのか教えてもらえますか?

ブルーイ:さっきも話したように、ブリット・ファンクはイギリスの若者によるムーブメントだ。全英中で起こっていたけど、ミュージシャンはみんなロンドンに集まってきていた。なぜなら、レコード契約はロンドンで行われるからね。

それにロンドンにはUpstairs @ Ronnie Scott’sなどのクラブや、「Caister Soul Weekender」みたいなイベントがあったから、そこで演奏できる可能性もあった。そこには当時のシーンで重要なDJだったロビー・ヴィンセント、クリス・ヒルがいて、彼らが若いバンドの曲をラジオやイベントでプレイして、ミュージシャンたちの扉を開けてくれていた。スパンダー・バレエ(※1)やヘアカット100(※)のように、このムーブメントから影響を受けて、もっとポップなシーンで活躍するバンドもいた。

※1 ブリット・ファンク・バンドのBeggar and Coとのコラボをしていた。
※2 代表曲「Favorite Shirts」などにブリット・ファンクの影響が見られる。



ブルーイ:それにブリット・ファンクは、人種問題を乗り越えたムーブメントでもあった。当時は黒人によるファンク・バンドがいくつもレコード会社と契約することができた。僕がいたバンドも含めてね。いろんな人種が混ざっていたし、黒人と白人のカップルもたくさん生まれていた。ロンドンにはジャマイカ系のコミュニティがあるわけだけど、彼らもブリット・ファンクで重要な役割を果たしていた。親世代から受け継いだレゲエにどっぷり浸かるだけではなく、ジャズやソウル、ファンクを発見しながら、自分たちの世代独自の音楽を作ろうとしていたんだ。


ハイテンションによるブリット・ファンク最初のヒット曲「British Hustle」(1978年)


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