北欧ブラックメタル「血塗られた名盤」 メイヘムのメンバーが明かす壮絶な制作秘話

メイヘム(Courtesy of Ecstatic Peace Library © Jørn "Necrobutcher" Stubberud)


アッティラ・シハーの実験的な歌唱スタイル

最終的に1993年になってバンドはシハーを呼び寄せ、彼は当時の妻と一緒にやってきた。ノルウェーはシハーには上流階級に見えたが、空港に迎えに来たメタルヘッドを見るやいなや、彼は驚いた。鎖帷子を着てヴィーケネスが登場したのだ。「オスロで少し遊んだ。あの頃、警察官はみんなの様子を監視していたし、みんな困窮していてサバイバルが大変だった。シーン自体は非常に小さくて、地下に埋もれていたよ」とシハー。バンドメンバーはシハーと宗教や政治に関する考え方を話し合ったが、シハーが興味を示したのはユーロニモスとヴィーケネスのレコードコレクションをダビングすることだった。

シハーが言うには、「あれはクールだったし、良い時代だった。それにかなりの緊張感もあった。みんな、炎を見てなぜか興奮していた。このアルバムは長い時間をかけて作られたもので、俺が最後に参加したわけだ。だから少しリハーサルを行ってからベルゲンに向かったんだ」ということらしい。

トーメンターでフロントマンを務めて以来、シハー自身が「ダーカーヴォイス」と呼ぶ、かなり実験的な歌唱スタイルを新たに生み出していた。彼はスキニー・パピーの音楽にどっぷりハマっていて、『Too Dark Park』『Last Rights』というアルバム2作品に夢中だった。そして、同グループのシンガー、ニヴェック・オーガのハスキーな怒鳴り声からインスピレーションを得ていた。また、カレント93のダークなバラッドの歌い方、ディアマンダ・ガラスの実験的な物悲しい歌声、クオーソンらのメタル・ヴォーカリストが大好きだった。クオーソンは初期のブラックメタルのパイオニアだったバソリーでフロントマンをしていた。一方でメジャーなシンガーだと、オジー・オズボーン、ロブ・ハルフォード、イアン・ギラン、デイヴ・バイロン(ユーライア・ヒープのフロントマン)なども好きだった。しかし、シハーの声帯が生み出す声は、ディープで生霊のような低いしわがれ声で、それが時としてヘヴィな喉歌スタイルに近づくのだった、この喉歌スタイルは彼が10代の頃に旅行したモンゴルで耳にした歌声で、このときは一緒に行った友だちとビールを飲んでから修道院に忍び込んだという。シハーの歌声は、デッドのストレートなアプローチの歌声とは全くの別物だった。

「シハーのヴォーカルは斬新で、完全に倒錯した奇妙なものだった」とヘルハマーが言う。「気味の悪い上にダイナミックだった。大好きにはならないけど、魅了されるには十分だ。彼が何をしているのか、異なる声で何を歌っているのかを理解するには時間が必要だが、彼の声が彩りを加えているんだよ」と。

アッティラ・シハーの近影

「一度このアルバムはかなり不快な悪臭を放つと言ったことがある。だってヴォーカルがすべてを台無しにしたから。でも、実は俺、ちゃんと聞いたのが『Freezing Moon』
だけだった。他の曲のヴォーカルは完璧だったよ」と、ヴィーケネスが2005年に語っている。「俺の耳はデッドの声に慣れていたし、ヤツの歌い方に慣れていた。だから変えたくなったのさ。アッティラは自分の『芸術としての品格』にこだわっていて、デッドと同じ歌声は望んでいなかったんだ」

シハーは他のメンバーが、自分にかなりの自由を与えてくれたことを覚えている。抽象的な意味でも、具体的な意味でも、自由度を与えることで彼らしいヴォーカルにしようとしたわけだ。彼が歌録りしたスタジオは窓のカーテンを閉めた真っ暗な状態で、数本のろうそくだけが光源だった。シハーはこれを漆黒の闇と呼ぶ。「歌いながら踊れるようにハンドマイクを持っていたし、この暗闇の中で好き勝手してもよかった。誰にも見えないから。真っ暗な部屋でトランス状態だった。人に見られたら取り繕ってしまうし、思う存分変身したかったから、他の誰にも見られたくなかったのさ。いつもと違う自分を出すことができた」と当時を振り返ってシハーが言う。

とは言っても、バンドメンバーも彼らの友人もリスニングルームにいたし、ブラックソーンは歌っている最中のシハーが「奇妙で、完全にイッちゃってる動きをしていた」のを覚えている。それを言葉で表してくれと頼んだら、彼は「海藻の飛行機」と言った。

Translated by Miki Nakayama

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