ジャイルス・ピーターソンが語る、ブリット・ファンクとUK音楽史のミッシングリンク

ジャイルス・ピーターソン(Photo by Benjamin Teo)


ジャイルスが憧れた「クールな多様性」

―イギリスにはノーザンソウルやモッズ、ジャズ・ダンス、ディスコなど、DJによる様々なカルチャーの歴史がありますよね。ブリット・ファンクはそういったDJの歴史に当てはめると、どういった文脈から発生したものと言えるのでしょうか?

ジャイルス:最初に君がスノウボーイの本(『From Jazz Funk & Fusion〜』)の名前を挙げていたと思うけど、あの本は主にジャズ・ダンスやそのシーンについて書いてあるのが面白いよね。でも、ジャズ・ダンスはブリット・ファンクに比べるとムーブメントとしてかなり小さいものなんだ。ブリット・ファンクは国全体に広がったし、クラブもイギリス中にあった。パンクスがスキンヘッドにしたり、ロカビリー・ファッションが再評価されたりしたのと同じように、ブリット・ファンクも重要なユニフォームのようなものだったんだ。そして、僕やスノウボーイはブリット・ファンク・アーミーの一員だった(※)。つまり、当時のイギリスのカルチャーの中で、非常に大きな位置を占めていたんだ。

※スノウボーイはアシッド・ジャズの時代に活躍した、アフロキューバン・ジャズのサウンドを象徴するパーカッション奏者/DJでもある。

だけど、悲しいことに歴史から忘れ去られてしまった。なぜなら、当時のメディアはセックス・ピストルズやファクトリーレコーズ、それから(ポストパンク期の)インディー・ミュージックについてばかり書いていたから。ブリット・ファンクが同じぐらい大きなムーブメントだったにもかかわらずね。カール・コックス(※1)やポール・オーケンフォールド(※2)、ピート・トング(※3)、ゴールディー(※4)などのイギリスのDJに話を聞いてみれば、口を揃えて「ブリット・ファンクが基礎になっている」と言うはずだよ。つまり、ブリット・ファンクがなければアシッド・ハウスも生まれなかったわけだ。

ブリット・ファンクは1978年、そしてアシッド・ハウスが1988年に現われた。ニッキー・ホロウェイ(※5)やピート・トング、ポール・オーケンフォールド、そして僕といったアシッド・ハウスのDJたちは、みんなブリット・ファンクのシーンから来たんだ。アシッド・ハウスは基本的に、ディスコとハウスにドラッグ文化がくっ付いているだけで、レゲエやサウンドシステムの延長線上にあるジャンルだからね。

※1:世界屈指のテクノDJ。代表曲「I Want You(Forever)」などのヒットでアシッドハウス時代に頭角を現した。
※2:アシッドハウスを代表するDJで、ハッピー・マンデーズのプロデュースを手がけるなど、インディ・ダンスにも多大な貢献を果たした。
※3:ロンドンで重要な役割を果たしたソウル・ミュージック系の海賊ラジオ局「ラジオ・インヴィクタ」を経て、90年代からはBBCでダンス・ミュージックを紹介している英ラジオ界の重鎮。
※4:90年代のUKドラムンベースにおける最重要人物。1995の名盤『TIMELESS』などで知られる。
※5:アシッドハウスを代表するDJ。クラブナイト・トリップ、シン、ミルク・バーといった重要なクラブの設立にも関わった。


1989年、アシッド・ハウスのレイヴで踊る若者たち。「クラブ」「ダンス」の文化もブリット・ファンクの延長線上にある。

―当時、ブリット・ファンクをどんな場所で体験していたのか聞かせてください。

ジャイルス:最初の頃は、バンドを見るためにライブハウスに行っていた。当時は16歳ぐらいで(ジャイルスは1964年生まれ)、クラブにはまだ入れなかったからね。ロンドンのヴィクトリアにあった、The Venueというライブハウスにはよく行ったよ。当時は郊外に住んでいたから、金曜日の夜に電車に乗ってヴィクトリアまで行って、The Venueで3、4組のバンドを見て、午後11時ぐらいの終電に乗って、家に帰り着くのは12時、みたいなことをよくやっていた。

ローカルなワインバーのイベントなんかにも足を運んでいて、そういう場所ではバリー・ストーン(※)などのDJや、あとはカール・コックスなんかもプレイしていたよ。それから、僕がよく行っていたのはオールデイヤーだね。ブリット・ファンクの王道で、ハドソン・ピープルの「Trip To Your Mind」という曲があるんだけど、15歳の時に(サウスロンドンの)パーリーにあるTiffany’sというナイトクラブで開催されたオールデイヤーに遊びに行った時、彼らが出演していたんだ。そしたらライブの最後にステージからレコードを投げてね。それを僕がキャッチしたんだ。そのレコードはいまだに持っているよ。楽しかったな。

※80年代にJFM、Solorといったロンドンの海賊ラジオ局を中心に活動していたDJ。

15歳のジャイルスがキャッチした、ハドソン・ピープルの「Trip To Your Mind」のレコード(実物)



―会場はどんな雰囲気だったんですか?

ジャイルス:音楽を聴きに行く時はひとりで行っていたんだけど、いつも場違いな気がしていたのを覚えてるよ。周りの大人たちはカッコイイ服を着て、クールな友だち同士で遊びに来ていたから。そういう場所に来る人たちは、ダンスも上手かったしね。だから、僕はいつも一番後ろに隠れていた。後ろのほうからクールな世界を眺めていたんだ。心の中ではすごく興奮しながらね。

それから、黒人と白人が同じ場所にいるのを見たのはライブハウスが初めてだったんだ。異なるバックグラウンドを持つ人たちが、ひとつの場所に集まっていた。イギリスで黒人と白人の境界線をなくした音楽シーンは、ブリット・ファンクが初めてだったんじゃないかな。自然な形で多様性が生まれていたんだ。まだ大抵の場所では、社会的な背景が同じ者同士しか集まることはなくて、自分と違う人間が同じ場所にいることのない時代だったから。それがオールデイヤーでは覆された。人種も年齢も関係なかった。インド系も、アジア系も、黒人も白人もいた。そして、ほとんどが労働者階級だったね。育ちの良い、お金持ちの子はロックを聴いていたから。ブリット・ファンクは労働者階級の音楽で、多様性のあるシーンだったんだ。サッカーが労働者階級のスポーツで、ラグビーが金持ちのスポーツなのと同じだね。イギリスでは、私立に通っている子たちはラグビーをやるから。僕が初めてサッカーの試合を見に行った時は、「うわー……これは結構きついな」と思ってしまった(笑)。観客が生々しくてね。ブリット・ファンクもそんな感じだったよ。

Translated by Aoi Nameraishi

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