ユーミンら1970年代のアルファレコード作品を当時のディレクターと振り返る

プレゼンターMC(服部克久)

田家:ただいまプレゼンターとして登場されたのが服部克久さん。J-POPの父、服部良一さんの息子でありますが、服部さんにはどんなことを思われますか?

有賀:まずこの雪村いづみさんの繋がりで言えば、『スーパー・ジェネレイション』という大きなアルバムがありまして。これは、服部良一さんの作品をティン・パン・アレーのリズムセクション、それと歌のしっかりした雪村いづみさんに歌っていただこうとという企画で、それをまとめていただくのはやっぱり服部克久さんにお願いしたという感じです。

田家:1974年に出たアルバムで、当時キャラメル・ママと名乗っていたティン・パン・アレイの演奏ですね。あのアルバムは細野さんがやりたいと仰ったんですか? 村井さんが?

有賀:僕のところには村井さんから降りてきたものですから、どちらがやりたいと言ったかは分からないんですよね。

田家:細野さんの才能をいち早く見抜かれたのが村井さんでもありますからね。細野さんと雪村さんという組み合わせを村井さんが描いたのは当然かもしれませんね。

有賀:そうですね。先鋭的なリズムセクションとしっかりした楽曲、アレンジ、歌ですよね。

田家:雪村いづみさんはユーミンの「ひこうき雲」を歌ったとお聞きしたことがあるのですが。

有賀:ありましたね。それも僕がやったんです。ユーミンが作家としてまず生きていきたいんだというのが当初にありまして、それじゃあこの曲を広めるのに雪村いづみさんに手伝ってもらおうとしたんです。ところが、歌ってもらうと、音程も正しいし感情もあるので歌としては申し分なかったんですけど、ユーミンの楽曲がこの歌で表現された時にどこか違和感があると思った。それで、僕なんかはこの曲は、ユーミンが自分で歌う方がいいんじゃないかと思っていたもので。結局、雪村さんが歌った「ひこうき雲」はお蔵入りです。

田家:ユーミンの話はまだこの後も続きます。そんな有賀さんが選ばれた雪村さんの曲で選ばれたのが次の曲「蘇州夜曲」。

Rolling Stone Japan 編集部

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