ユーミンら1970年代のアルファレコード作品を当時のディレクターと振り返る

機関車 / 小坂忠

田家:小坂さんは「機関車」と「ほうろう」の2曲を歌ってましたが、有賀さんはこの「機関車」を選んでおります。この曲のライブの演奏はティン・パン・アレイと高橋幸宏さんでした。これを選ばれた理由は?

有賀:もともと彼らも何回も録音してるんだと思うんですけど、アルファでも僕が一回担当したことがあって。この曲は好きでしたね。

田家:このライブ演出をされている松任谷正隆さんのプロデビューは、小坂忠さんのバックバンド・フォージョー・ハーフだったんですよね。

有賀:これは僕がビクターで小僧をやっていた時期がありまして、その時に子供向けのレコードを一枚作ったんですけど、その中に小坂忠さんと松任谷正隆さん、細野晴臣さんもいた気がします。「機関車」をやったかは覚えてないですけど、その時から小坂忠は知っていてとても素敵なボーカリストですね。

田家:小坂さんの1972年のアルバム『もっともっと』のバックで松任谷さんがデビューしたんですよね。フォージョーハーフは四畳半フォークの英語読みだったという。有賀さんはどぶ板フォークじゃない音楽をやろうとしたって仰っていたことがありましたね。

有賀:そんなこと言ってましたっけ(笑)。口が悪いものですからね。申し訳ないです。

田家:四畳半フォークって、そういう意味ではどぶ板フォークですね。

有賀:そうですね、フォージョーハーフとは全然違いますね。

田家:フォージョーハーフは四畳半と違うものをやるんだということで、ジョークで英語にした。そこにティン・パン・アレイになる林立夫さんがいた。ティン・パン・アレイの功績ってどう思われますか?

有賀:皆すごいですね。ミュージシャンとしては本当に尊敬しています。

田家:ユーミンのアルバムは彼らがいなかったら、あの形にはならなかった?

有賀:そうですよね。彼女は最初いかがなものかと思ったらしいんですけど(笑)。でも、ティン・パン・アレーはユーミンをすごく大事にしてましたね。楽曲を聞いて、自分らが演奏するに値する音楽だと最初から思っていたと思います。そういう意味の尊敬が根底にあったんじゃないかな。

田家:テイン・パン・アレイは当時『キャラメル・ママ』と言ってましたけど、彼らの起用は村井さんが考えて?

有賀:村井さんが皆考えて。私は補佐ですからね。

田家:村井さんが言い出したんですね。その時はどう思われました?

有賀:一番いいんじゃないかなと思いましたね。僕はブリティッシュとか拘らないタチですから。いいもんはいいもんだと思っていて。

田家:ユーミンは自分はブリティッシュだと拘ってましたね。でもそういう村井さんが起用される人たちは、売れているからというような実績で選んでいる感じはなかったですね。

有賀:実績は大して信用してないんです。自分で聞いて、このバンドが素晴らしいというのは彼が判断したんだと思いますよ。

田家:有賀さんもご自身の目でそういう風にミュージシャンをご覧になっていたんですね。お聞きいただいたのは、2015年の「ALFA MUSIC LIVE」小坂忠さんの「機関車」でした。

Rolling Stone Japan 編集部

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE