R&Bの名盤、メアリー・J・ブライジの2ndアルバムに隠された物語

「10代のころはニコリともしなかった」

1. 幼少期のブライジは暴力やアルコール、薬物に囲まれていた

ブライジは長いキャリアを通じて、障壁を乗り越え、トラウマを克服することについて再三歌ってきた。ドキュメンタリーはそうした心理的苦悩を前面に押し出している。「10代のころはニコリともしなかった」とブライジは説明する。「多分みんな、プロジェクトで暮らす家庭のことをわかってないんじゃないかしら。まるで刑務所……みんなひたすら苦しんでいる……よく女性が殴られる音が聞こえた。私の母もそうした女性の1人だった。私には母の苦しみが痛いほどわかった。お隣さんの苦しみも。あそこで暮らす人々みんなの痛みも。そして私自身の痛みもね」

歌が将来の選択肢として見えてくる以前は、薬物やアルコール依存が主な現実逃避の手段だったと本人は言う。「悲しみや憂鬱、憎しみ、自己嫌悪を感じずに済むものなら、人は何にでも手を出すものよ」と、ブライジはカメラに向かってこう語る。「それで薬物依存だとか、気分がよくなるものに走るの……私たちもよく桟橋に行って……つらさを忘れるまで飲んだくれたわ」


2. 光を与えてくれた70年代ソウル

『マイ・ライフ』の大部分は、1970年代から1980年代初期の名作R&Bのサンプリングや引用で形成されている。バリー・ホワイトの「エクスタシー」、カーティス・メイフィールドの「ギヴ・ミー・ユア・ラヴ」、アル・グリーンの「フリー・アット・ラスト」、メリー・ジェーン・ガールズの「オール・ナイト・ロング」。とりわけロイ・エアーズの「エヴリバディ・ラヴズ・ザ・サンシャイン」は、幼いブライジの胸にとくに響いた。「私にはあの曲が、すべてを白日のもとに晒すような感じだった」と本人。「子供のころ音楽に感銘を受けたのはあれが初めてだった。自分たちの生活を忘れさせてくれた。あのサウンドに夢中になったわ……my life in the sunshineっていうフレーズが、自分にも何か成し遂げられるかもしれない、と感じさせてくれた」。結果的にエアーズの曲は、『マイ・ライフ』のタイトルトラックのベースとして使われた。


3. 最初のブレイクのきっかけはジェフ・レッド

親戚の1人によれば、ブライジは「ものおじせずに歌っていた」という。10代の時に、自腹を切って地元のショッピングモールでデモを収録。1980年代にシングルチャート・トップ10入りしたアニタ・ベイカーのクワイエット・ストーム時代の名曲「Caught Up in the Rapture」のカバーだった。家に持ち帰って家族に聴かせたところ、それをいたく気に入った継父が、1990年代初頭にニュー・ジャック・スウィングの「ユー・コールド・アンド・トールド・ミー」をヒットさせて一時有名になったジェフ・レッドに渡した(ブライジの継父とレッドはジェネラル・モーターズの工場の組み立てラインで働いていた)。「デモを聴いたとき、時代の痛みが伝わってきた」とレッドは当時を振り返る。

彼はそのテープをUptown Recordsに送りつけることに成功。当時トップを務めていたアンドレ・ハレルはデモを聴いて驚き、翌日ヨンカースまで車を走らせてブライジに会いに行った。オーディションとしてブライジは、彼の前でベイカーのアルバム『Rapture』を全曲歌って聞かせた。

Translated by Akiko Kato

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