甲斐バンドの歴史と闘争、1983年から1986年までを振り返る

ラブ・マイナス・ゼロ / 甲斐バンド

甲斐バンドのニューヨーク三部作の三作目、1985年3月発売のアルバム『ラブ・マイナス・ゼロ』のタイトル曲です。このアルバムは、ニール・ドーフスマンとボブ・クリアマウンテンという二人の手を経て作りあげられました。ニール・ドーフスマンは、その後スティングとかポール・マッカートニーなどを手掛けて、二人ともグラミー賞を受賞していますね。日本ではその後、渡辺美里さんや浜田省吾さん、氷室京介さんらと組むようになるのですが、そういう意味では甲斐さんに先見の明があったということですね。

アレンジャーの後藤次利さんも今作に加わっているのですが、たまたま後藤さんと甲斐さんが話している場に私にも同席していて驚いたことがあったのですが、後藤さんが加わったアルバム、恐らくサディスティック・ミカ・バンドだと思うですが、B面の何曲目の何小節で後藤さんがこんなフレーズを弾いていたということが甲斐さんの頭の中に入っておりました(笑)。

アルバム『ラブ・マイナス・ゼロ』は打ち込みのアルバムで、メンバーの演奏は2曲だけ。それぞれ別々にレコーディングしたものを、最終的にボブ・クリアマウンテンに委ねたというアルバムでした。ボブ・クリアマウンテンの当時のスケジュールでは、ダリル・ホール&ジョン・オーツとブライアン・アダムスの間に甲斐バンドが入っていました。

Rolling Stone Japan 編集部

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