甲斐バンドの歴史と闘争、1983年から1986年までを振り返る

 

田家:FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」、甲斐バンド栄光の軌跡Part4。1970~1980年代にかけての新しい時代を切り開いた栄光のロックバンド・甲斐バンドの12年間を辿っております。今週は最終週でした。今流れているのはこの番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説(レジェンド)」です。

甲斐バンドの『THE 甲斐バンド FINAL CONCERT "PARTY"』は、それまでのいろいろなバンドやグループの解散のイメージを変えましたね。客席から涙まじりの「やめないで!」という悲鳴が飛んで、ステージも感極まって歌えなくなるというじめっとしたシーンがなかったですね。やり切った、闘い終えたという祝祭のような結末が甲斐バンドのファイナルでした。

ずっと申し上げてますが、はっぴいえんどからBOØWYに至る過程の最重要バンド。これは僕の実感でもあるんです。黒澤スタジオでのライブの3日後に、BOØWYの初めての武道館公演「“GIGS” JUST A HERO TOUR 1986」があったんです。氷室さんが「ライブハウス武道館へようこそ!」と言ったあのライブです。それを見に行って愕然としたんです。何がというと、ビートが違った。甲斐バンドの1970年代的なビートが全くなかった。BOØWYのジャスト、タイトでドライなビートにびっくりしたんです。こんな風に時代が変わるのかと思って、自分の中でははっぴいえんどからBOØWYと位置づけができました。でも、甲斐バンドの解散の様式、ダンディズム、美学というのはBOØWYにも受け継がれたのではないでしょうか? 7月10日に横浜赤レンガ倉庫の前で甲斐バンドのライブがあります。これが見納めになるんでしょうか?

また、番組制作の加藤与佐雄にも触れておかないといけませんね。当時、加藤与佐雄さんは東海ラジオのディレクターでした。僕らは当時甲斐バンドの取材でツアー、特に名古屋に行くと朝まで飲むんです。与佐雄さんも一緒でした。明け方になって与佐雄さんの自宅に押しかけて、皆で奥様が作った味噌汁を飲んで、ホテルに帰って荷物をとって駅に行くという過ごし方をしていました。与佐雄さんは今天国にいますが、この放送を聞いて喜んでくれるのではないでしょうか。また来週。


今回紹介した甲斐バンドのCDを手にした田家秀樹



<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp

Rolling Stone Japan 編集部

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