バイきんぐ、2年ぶりの単独公演と結成25周年イヤーを語る

ーその後お二人が教習所で出会われて、大阪のNSC入学、コンビ結成という流れですよね。出身が広島と福岡ということで、大阪出身じゃない人がお笑いの本場である大阪に行かれましたが、関西の人が多い中で肩身の狭さは感じていたんですか?

小峠:僕は大阪に行ってから、一応なんちゃって関西弁を使うようにしていたんですよ。でも、イントネーションとかも全然違うし、「どこの人?」とかって言われたりはしていましたね。別にそれが嫌とか、やりにくいとかっていうことではないですけども。

西村:僕は中1から兵庫県に住んでいたので、やりづらさは特別感じなかったですね。小峠の大阪弁はめちゃくちゃ変でしたよ(笑)。ところどころ博多弁みたいなの出るから。

ー大阪でNSCに通われて、東京にはどのくらいの期間で移られたんですか?

西村:大阪には3年しかいなかったですね。大阪だと、ライブで若手芸人の中から出演するための枠をもらうために、自分たちで手売りするチケットを主催者からもらわなきゃいけないんですけど、もらうのにも前の日の夜から芸人が並んで溢れて。

小峠:あれ考えたらすごいな。前の日から並んでたよな(笑)。

西村:心斎橋筋2丁目劇場の階段のところで並んでたんですよ。交代で並んで、実際にライブに出てもランクが分かれていて、上に行かないとレギュラー出演枠がもらえないとか。あと、松本(人志)さんの書籍『遺書』(朝日新聞社刊)にも書いてあるんですけど、大阪の芸人は大阪で売れてから東京に進出して、また0からやって2度売れないといけないみたいなことがあったから。じゃあもう東京行こうって小峠から言ってきたんです。

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