清春、ライブ2021「残響」で見せた突破者の姿

ライブの詳細を書く前にもう少しコロナ禍における清春の活動について触れておく。コロナ禍でライブがまともに出来なくなり、ロックミュージシャンの活動は大きく制限された。その中で配信ライブが盛んにおこなわれるようになったが、最初こそライブの受け皿として歓待された配信も徐々に視聴者数を減らしていった。ジャンルにもよるが、配信の視聴者数はリアルライブの50%くらいだという。筆者もイベントのMCをやっているが、50%というのはだいたい相場な気がする。つまり、オーディエンス的にはライブに代替物にはまだなりえていないということだ。

そんな中、清春は配信ライブとは違う、配信によるパフォーマンスを行ってきた。当初は「TEST」という名義で、現在は『A NEW MY TERRITORY「錯覚リフレイン」』(以下、ANMTと略)と題してほぼ月に2回のペースで行っているライブストリーミングだ。普通の配信ライブと何が違うかというと、“映像付きのライブレコーディング”というのが「ANMT」の本質だと思う。映像が故に、とにかく見せ方には徹底的にこだわっている。毎回、映像監督によるディレクションがあり、その世界観の中で、演劇的に自由に振る舞う=視覚的に見せながら歌う。更に、配信自体は数日間のアーカイブがあるが、配信を観た者には、その音源がデータで届けられる。つまり、ライブアルバムが届くのと同じ=レコーディングだ。しかも、未発表の新曲も披露していて、完全に新しい表現手段として確立した。その「ANMT」と対になる進行形の清春の表現が今回の「残響」。清春自身の言葉を借りると、以下のようになる。

「表層的なことで言えば、『ATMN錯覚リフレイン』が配信で、『残響』がリアルライブなんだけど。リアルライブって言うけど、配信もリアルライブも共に儚いものだと思っていて。ライブで目にするものだってその時だけの刹那なもので幻みたいなものじゃない? それより、ライブの後にのこったものが大切な気がするんですよ。それが映像なら残像というか錯覚だよね。それが音なら残響だし。で、残響が残るようなことをちゃんとしたいよねって思ったんです。ライブを観てMCがいいとか、泣けるとかじゃなく、とにかく音を残したくて。『残響』ではマイクを外して歌ったりするけど、それは後付けで。最初はそんな想いから始まったの。見た目を楽しみたい人には配信の方がいいわけじゃない? カメラも寄ってくれてライブ会場より楽しめる。だから『ANMT錯覚リフレイン』は映像的な部分に執拗にこだわってる。逆にリアルライブは目をつむっていても成立しないとライブじゃないでしょ。両極にこだわっている一方が『残響』。この二つが対になって今の僕の表現が成立してるから両方を体感してほしいんだよね」

と、コロナ禍でロックの持つ羽根が捥がれてゆく中、新しい羽根を付け、高いところを目指しているのが清春だ、ということがこの発言から少しはわかって頂けたかと思う。

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