ビリー・アイリッシュ『Happier Than Ever』制作秘話「二度とアルバムは作らないつもりだった」

曲作りはランニングみたいなもの

ビリーと筆者は元々、彼女の両親の家で会う予定ではなかった。彼女は当初、『Happier Than Ever』のレコーディングが行われたフィネアスの地下スタジオでの取材を希望していた。しかし、排水管破裂のアクシデントにより、そのスペースは壊滅的なダメージを受けてしまった。「一から作り直さなくちゃいけないんだ」。彼はZoomでの画面越しにそう話す。「でも僕のハードディスクやシンセ、ギターや他の楽器は無事だった。その点はラッキーだったよ」

デビュー作と比べると、『Happier Than Ever』の制作がずっとスムーズだったことに、彼女は安堵していたという。その要因のひとつは、パンデミック初期にマギーからもらったアドバイスだった。約1カ月に及んだロックダウンの後、マギーは子供たちに1週間のスケジュールを決めることを提案し、ビリーは毎週月曜と水曜および木曜に、マットブラックのDodge Challengerを運転してフィネアスの家を訪ねることになった。2人は曲を書くこともあれば、「あつまれ どうぶつの森」や「Beat Saber」を一緒にプレイすることもあった。また2人は、毎日とにかく好きなものを食べていたという。「タコベル、自家製ピザ、里芋のタピオカミルクティー、タイ料理……」彼女は次々とリストアップしていく。「CrossroadsとLittle Pineの料理もよく食べてた。Nic’sとFatburgerでも1回ずつ注文したかな。この上ないご褒美だった」

『世界は少しぼやけている』を観れば、『WHEN WE ALL FALL ASLEEP 〜』のセッション終盤で彼女がストレスを抱えていたことは明らかだ。ビリーとフィネアスは曲作りの大半を自分たちでこなすことを認められていたが、レコード会社からのプレッシャーは次第に大きくなっていった。締め切りに追われる日々(彼女は17歳の誕生日までにアルバムを仕上げることになっていた)、とめどなく行われるミーティング、過去数年間での人気の高まりがもたらした新世代のスターに対する期待は、彼女の肩に重くのしかかっていた。「何もかもが嫌だった」。彼女はそう話す。「曲作りもレコーディングも、嫌で嫌で仕方なかった。それ以外のことなら何だってやるのにって思ってた。これが終わったら、もう二度とアルバムは作らないつもりだった。絶対にね」

ニューアルバムの制作中、彼女はそういったプレッシャーから解放されていた。レーベルからの指図もミーティングもなく、〆切に追われることもなかった。「今は誰にも口を挟ませないようにしてる」。ビリーはそう話す。「文字通り、決定権があるのは私とフィネアスだけ」。2020年4月3日、新たに決めた1週間の仕事スケジュールの初日に、2人は「my future」を書き上げた。その数カ月後には、2人は自分たちがアルバムを作ろうとしていることを悟っていた。

彼女が手に取ったクリアファイルには手書きのトラックリストが入っており、収録曲や曲順が度々変更された形跡が見られた。「これは額に入れて飾ろうと思ってる」。彼女は笑顔を浮かべてそう話す。随所に見られるシミは、フィネアスのスタジオが浸水してしまった際についたものだ。


Photograph by Yana Yatsuk for Rolling Stone. Fashion direction by Alex Badia. Sweater by POLO Ralph Lauren.

本作には全16曲が収録されているが、ボツにした曲は1つもないという。2人は完璧主義者であり、曲を作り始めたからには細部まで徹底的にこだわり、パーフェクトだと思えるまで取り組み続ける。アルバム全体としてのまとまりはその成果であり、ユニークな曲群が織りなすアヴァンギャルド・ポップのサウンドスケープは、デビュー作におけるバロック・トリップホップと言うべきスタイルを昇華させたものだ。

「1日に3曲とか作って、そのペースをずっと保てるアーティストってすごいと思う」。ビリーは思案顔でそう話す。彼女がソングライティングをランニングに喩えるのは、長時間続けると「死ぬほど疲れる」という点が共通しているからだ。「私にとって曲作りはそういうもの。得意だけど、すごく自分を消耗するから。曲を書き上げるたびに、マラソンで完走したような気分になる」

Translated by Masaaki Yoshida

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