ジャック・アントノフが語るブリーチャーズと音楽人生、テイラーも惚れ込むプロデュース論

ジャック・アントノフ(Photo by Erik Tanner for Rolling Stone)

 

10代の記憶、これまでの音楽遍歴

ーあなたが女性アーティストとしか組まないという意味ではないですよね。あなたにとって女性アーティストがますます重要な存在になっているとしても、全ての男性ミュージシャンに当てはまる訳ではありません。

アントノフ:そう、違う。僕は女の子受けするロックが嫌いだ。青春時代を過ごした90年代は、フィオナ・アップルとビョークが全盛だった。僕はスマッシング・パンプキンズが好きだ。でも彼らにはマッチョさを感じなかった。スタジオでもこの手の議論をよくしてきたが、最終的に「マッチョ」と「タフ」の違いだという結論に行き着いたのさ。ある面は魅惑的だが、他方では不快だ。タフは素晴らしいが、マッチョはよくない。フリートウッド・マックはタフで、キッスはマッチョだ。

ー当時あなたは、ニューヨークのラジオ局Z100をよく聴いていたと思います。ポップとオルタナティブを融合したようなラジオ局でした。

アントノフ:メリッサ・エスリッジはポップな曲でヒットした。スヌープ(・ドッグ)もポップのヒットを飛ばし、グリーン・デイもポップな曲で売れた。そしてニルヴァーナは、ポップのラジオ番組で流された。スマッシング・パンプキンズ、ドクター・ドレー、トード・ザ・ウェット・スプロケット、ランシド。でも90年代の終わりにはラップ・メタルが登場した。マッチョ、マッチョ、マッチョ。タフはどこかへ行ってしまったよね? だからその頃の僕は、パンクやハードコアに走った。ニュージャージーのシーンは進んでいたのさ。10代半ばから後半にかけての時期は、迷える子羊のようなものだ。でも僕の場合は、ノーム・チョムスキーを愛読するようなビーガンたちを見習って、本当によかったと思う。僕はP&Gによる動物実験について両親に噛み付くような子どもだったんだ。


Photo by Erik Tanner for Rolling Stone

ーティーンエイジャーの頃のトリップ経験について聞かせてください。

アントノフ:僕が18歳の時、妹が(ガンで)亡くなった。それから僕はツアーに出た。家族が死んで、人生がバラバラになりそうだった。家にもほとんど連絡しなかったが、レコード会社と契約できた。家族は「好きに生きなさい」という感じだったが、こんな状況では不条理に聞こえた。18、19歳の頃、バンドのメンバーとバンに乗ってツアーに出た。何をやっても楽しかったし、音楽にどっぷりのめり込んだ。友だちの中にはドラッグをやる奴もいた。

僕は友だちに勧められて、アシッドとマッシュルームを何度か試した。妹を亡くしたショックを引きずったまま旅に出た子どもにとって、最もやってはいけない行為だ。大失敗だったよ。ひどい状態に陥って、まともになるまでにかなり長い時間がかかった。今では理由もはっきりわかる。僕は悲しみの初期段階にいたんだ。そんな状態の人間が麻薬に手を出してはいけない。しかも今の時代のマッシュルームとは違うしね。友だちが持って来た麻薬を煮て食べたり、お茶にして飲んだ。たぶん過剰摂取だったと思う。酷い状態だったので、病院へ行って医者に事情を話した。「もう元通りには戻れない」と思った。

ー医者には何と言われましたか?

アントノフ:「統合失調症を引き起こすかもしれない」と言われた。本当に怖くて泣きそうだったよ。僕にはたくさんの夢があり、家族は大きな喪失感を味わったばかりだった。自分の人生を台無しにするところだったよ。自分ではコントロールできない経験をしたことで、今では作曲する上での試金石になったと思う。それまでは、2カ月も家を空けたことなどなかった。本当によくなかった。こうして話すだけで、酷い感覚が蘇ってくる。だから、無理に精神を高揚させるようなことはしないようにしているのさ。



ースティール・トレインが活動終了し、fun.が活動休止するなどさまざまな難局を経験しながら、あなたは音楽のプロとしての自信を失わなかったように見えます。

アントノフ:それぞれの年代で、人によって経験もさまざまだ。18歳になって同級生が大学へ進む中、自分は小さいながらもアルバムの契約を取り付けた。もう王様になった気分さ。ところが21歳で周囲の友だちが将来設計を考え始める中で、僕はバンの中で麻薬をやっていた。完全に負け犬だ。そして25歳になって皆が「人生に行き詰まった」と感じる一方で、麻薬を吸っていた僕の人生が、突然上向き出した。自活できないから引越しもできず、音楽で生計を立てて両親の家から出るなんて生活を描くこともできなかった。27歳になるまで毎日が手探り状態だった。アーティストを目指す過程で経験する妄想のようなものだ、と思っている。僕の場合、もしも実家暮らしを続けて仲間内から人生の敗者だと思われたなら、それが僕の人生だった。



ースティール・トレイン時代の楽曲「Better Love」では、学生時代に付き合っていたスカーレット・ヨハンソンをファーストネームで呼んでいます。彼女は当時既に有名人で、誰もがスカーレットが何者か知っていました。わざわざ隠すこともないような気がしますが、何か意図があったのでしょうか?

アントノフ:自分でも理解できないくらいナイーブな時期だったと思う。たぶん、全部を明からさまにして炎上させたいと思う自分がいたのだろう。正直に言って、名前を入れたいと考えていた自分を理解できない。

ーたぶん、気を引きたかったのではないでしょうか?

アントノフ:たぶんだって? たぶん、僕は関係を断とうとしていた。当時は19歳でシュールな時期だ。あのアルバムの楽曲は超具体的な内容だった。死をテーマにしたり、聴いていて不愉快な曲もあった。魅力的な曲を集めたアルバムとは言えないな。

Translated by Smokva Tokyo

 
 
 
 

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