ピンク・フロイド初来日の衝撃とは? 「箱根アフロディーテ」目撃者が語る真相

アフロディーテは「奇跡のような出来事」

岡井:箱根はどの辺りで観てた?

保科:正面の比較的前の方で。斜面の上の方にあったステージを少し見上げるような感じだったね。

岡井:僕も同じ辺りかな。今聴けばどうか分からないけど、音量と音質に関しては何の不満もなかったね。ちょうど良かったというか。

保科:音圧が凄かったわけではないけど包み込まれるような感じで。

岡井:今では当たり前の低音がズシンとくることもなかったけど、聴いたことがないレンジが出てる感じがしたね(笑)。



保科:演った曲は覚えてる?

岡井:頭の曲が「アトム・ハート・マザー」(原子心母)だったという記憶はある。ピンク・フロイドが突然ステージに出てきて、チューニング始めただけでオーッて盛り上がって(笑)。僕らがいた所から彼らが持ってきたWEMのPAシステムを前座の演奏中に組み上げていくのが見えて。1910フルーツガム・カンパニーとバフィ・セント・メリーは、日本側で用意したあまり良くない音響でやったんだけどね。で、その頃からPAのチェックに鳥の声を流したんだけどそれがナチュラルで屋外の山の中で馴染みがいい。何か知らない世界が始まるんだとそれだけで興奮しちゃって。

※RSJ編注:「箱根アフロディーテ」メインステージでの音響機材は、ピンク・フロイドが持ち込んだWEMのPA機材に加えて、日本のヒビノ電気音響株式会社(現:ヒビノ株式会社)が貸し出したShureのトーンゾイレ型スピーカー40台を併せて使用。このことが日本でのステージ音響の発展に大きな転機をもたらすことになった。詳しくは『50周年記念盤』デジタル・ブックレット掲載の日比野宏明(ヒビノ株式会社取締役会長)インタビューにて。

保科:あとフロイドが始まると日が暮れ始めて、急に寒くなった記憶がある。山の上から霧が降りて来て自然のスモーク状態になって。

岡井:確かにフロイドのときは肌寒かったね。あの霧は自然とは思えないほど、出来過ぎなくらい幻想的で。すぐそこで演奏してるのに姿をさえぎるくらい霧が出て。今回の映像(『The Early Years1965-1972』収録のもの)ではあまり霧がかかってないから、2日目のものかも。テレビ埼玉のクレジットがあるから放送されたものなんだろうけど。


「箱根アフロディーテ」に出演したロジャー・ウォーターズとデイヴィッド・ギルモア

保科:ニック・メイスンが最近のインタヴューで、アフロディーテは素晴らしい想い出だと語っているのを読んで思い出したんだけど、84年くらいに友人に会いに行ったロンドンのスタジオに箱根アフロディーテのポスターが飾ってあったから驚いて理由を訊いたら、そこがたまたまニック・メイスンのスタジオでね。同じフロアにヒプノシスのオフィスもあって。

岡井:本当にそういう人間関係なんだね。やっぱり観客の向こうに芦ノ湖が見下ろせる箱根のステージは気持ち良かっただろうし、本人達も満足いく演奏だったんだろうね。それで日本の印象が良かったから、すぐ半年後に再来日したんだろうし、アフロディーテの評判でフロイドの日本での人気と評価が一気に高まったんだろうね。

保科:あの環境であのサウンドだもの、フロイドにとっても最高だっただろうし、観客もその世界に否応なく引き込まれるよね。ただただ圧倒されて。

岡井:想像外の世界をやられちゃったからね。時代もあるよね。ある意味、演奏力は別にしても、やらかすことは前衛じゃない?

保科:実際、集まった人数ほど当時『原子心母』も売れてたかどうか。多分、売れてなかったと思う。

岡井:ほとんど話題先行だよね、あの頃のロック・ミュージックっていうものは。だってストーンズがあの頃売れてないんだから(笑)。

保科:だから今考えると、アフロディーテが開催されたのは奇跡のような出来事だったんだろうね。

岡井:全員興奮のるつぼだったよね。いろんな要素が噛み合って。時代やロケーションもあるけど気持ち良かった。でも呆気にとられたというのが一番の印象じゃないかな、ピンク・フロイドの初来日ライブっていうのは(笑)。




ピンク・フロイド 『原子心母(箱根アフロディーテ50周年記念盤)』
2021年8月4日発売
CD+BD 2枚組
6,600円(税込)/6,000円(税抜)
●完全生産限定盤
●日本独自企画
●7インチ紙ジャケット仕様/5大特典封入
購入:https://SonyMusicJapan.lnk.to/PF_gjbRS
特設サイト:https://www.110107.com/pinkfloyd_AHM50th

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