米女優の変死、ポルノ業界の「病巣」と薬物依存

ダコタ・スカイことローレン・スコット(Photo by Gabe Ginsberg/FilmMagic)



「生意気なブロンド娘」のキャラクターで瞬く間に人気者に

だが一方で、スカイの死はポルノ業界に巣くう問題を反映している、という者もいる。そのひとつが精神疾患や依存症患者を支える組織的サポートの欠如だ。「ダコタぐらいの年齢だった時、私も最悪な状態で、よく撮影をすっぽかしていました。それで最後には『君はもう雇えない。助けが必要だ。リハビリ施設に入れて助けてもらいなさい』と言われました」とブラッドリーさんも言う。「そういうことは今ではありえません。周りは彼女をさんざん利用して、お払い箱にしたんです」

スカイはフロリダ州クリアウォーター生まれ。アルコール中毒の母親は40代で死去し、父親とは疎遠だった。子供時代に性的暴行を受け、母親は時折アルコールに走った。「彼女が育った環境は、それはもう最悪でした」。夫のザッカリー・ルコント-ゴーブルさんはローリングストーン誌に語った。10代初め、彼女は南オハイオに移って父親の家族と住み、そこで出会った年上の恋人からビデオチャットを勧められた。ルコント-ゴーブルさんによればこの時彼女はまだ16歳。法定年齢に達していなかった。19歳になると、彼女は最初のエージェントとなるEast Coast Talentのジョン・オバーン氏にスカウトされ、フロリダのポルノ業界でキャリアをスタートした。「背の低いモデルも最終的には上手くやれます――小柄な女の子もです」とオバーン氏。 始めて6カ月も経たないうちに、彼女は100本以上の作品に出演した。

ルコント-ゴーブルさんがスカイから聞いた話では、業界に入った当初彼女は、女の子同士の絡みの撮影しかやりたくない、とオバーン氏に伝えていたが――駆け出しのポルノ女優にはよくある頼み事だ――エージェントはすぐに男女の絡みのシーンをブッキングしたという。「まさにおとり詐欺ですよ」とルコント-ゴーブルさんは言う(オバーン氏は記憶にないと言ってこの件を否定し、スカイは初めから男女のシーンをやりたいと言っていた、と語った)。

スカイは仕事を満喫し、まちがいなくその才能があった。「彼女はダコタ・ファニングにそっくりで、それも彼女のウリでした」。スカイの友人で、ポルノ俳優組合を運営するアラナ・エヴァンス氏はこう語る。「生意気なブロンド娘、というのが彼女の持ち味で、ファンもそれを望んでいました」。およそ2年半後、彼女はEast Coast Talentを去ってポルノ界の中心地ロサンゼルスへ移住。ポルノ業界のスーパーエージェント、マーク・スピーグラー氏とともに仕事を始めた。

スカイは怖いもの知らずで、その気になれば友人に寛大だった。ブラッドリーさんがクラブのマーケティング職の面接を受けた時には、スカイは下着1枚になってテーブルに上り、酒をがぶ飲みして客を惹きつけたそうだ。「彼女はつたない声で歌ってくれました。歌はてんでダメだったのに」とブラッドリーさんは振り返る。「私の力になりたいという一心だったんです」。素面の時の彼女は快活で、朗らかで、何にも物おじしなかった。監督兼脚本家のジャッキー・セントジェームズ氏がローリングストーン誌に語ったところでは、全盛期のスカイが一度クレジットなしのエキストラをやると申し出て、冴えない衣装を着て根暗な大学生を演じたことがあったそうだ。「彼女の頼みで太い眉毛を書き、胃腸薬みたいなサイアクの色の服を着せ、ダサいシュシュで髪をまとめました。彼女はまったく気にせず、満足げで、思いっきり楽しんでいました」とセントジェームズ監督は振り返る。「それが私にとってのダコタの思い出です。お高くとまって馬鹿はやらない、というようなところは全くありませんでした」

Translated by Akiko Kato

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