ザ・スパイダースが与えたシーンへの影響、当時のプロデューサー本城和治と振り返る

エレクトリックおばあちゃん / ザ・スパイダース

田家:ザ・スパイダース最後のシングルです。これを選ばれたのは?

本城:この時にはしばらくレコーディングがなくて。でも解散ということを意識してはいなかったんです。これが最後の作品になってしまったんですけどね。それまでザ・スパイダースの色々な曲を作ってきましたけど、グループ自体は非常に真面目なんです。でもテレビとかステージを見ると、ユーモアがあるグループなのにレコードであまりユーモア出してないなっていう気がしたので。私の意図としては、ザ・スパイダースのユーモアをレコードで出してみたいなと思ったんです。なので、これはかまやつ関係なく作詞家の麻生ひろしに相談して、ジャン&ディーンの「パサディナのおばあちゃん」をヒントに面白いもの作ろうよってことで歌詞をお願いして。歌詞が完成してからかまやつひろしのところに持っていって曲作ってよって頼みましたね。

田家:かまやつさんのルーツも弘前市ですもんね。

本城:それは僕も後から偶然知ったんです。全然意識してなくて。でも麻生ひろしは知ってたのかな? 弘前って言葉は彼から出てきたので。

田家:解散というのはどんな風に立ち会われたんですか?

本城:結局それぞれのメンバーが忙しくなって、堺正章も1970年代に入ってドラマ『時間ですよ』とか始まったし。グループとしてよりもその活動の方がメインになってしまって、かまやつも自分で多重録音のアルバム作り始めるし。そういった意味では、ザ・スパイダースの活動が自然とバラバラになってきたというか。ごく自然に1970年の終わりの方に解散になった。でも、解散記念コンサートもやったわけじゃないし。皆才能もあったし、それぞれ忙しくなってきたということでしょうね。

田家:自然に皆が次のステージに移っていったという感じなんでしょうね。本城さんが選ばれた次の曲は、かまやつさんのソロ作。19704月に出たソロの最初のシングル「どうにかなるさ」です。

Rolling Stone Japan 編集部

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