ザ・スパイダースが与えたシーンへの影響、当時のプロデューサー本城和治と振り返る

お世話になりました / 井上順

田家:19719月発売の井上順さんの「お世話になりました」。ソロの2作目ですね。作詞が山上路夫さんで、作曲が筒美京平さんです。この曲の思い出というのは?

本城:ソロの一作目は阿久悠と都倉俊一のコンビで『昨日・今日・明日』と大ヒットしました。2作目は雰囲気を変えようかということで、筒美京平さんにお願いして。この山上路夫・筒美京平コンビの曲は長続きして、未だにカバーされたり流れたりしていますね。

田家:井上順さんはどういうエンターテイナーになるといいなと思いました?

本城:彼は当時アメリカで人気だったディーン・マーティンのモノマネみたいなユーモアがあって。堺正章と違って、漫才のボケとツッコミでいうとボケの要素があって、この曲もそういう味がある曲ですね。

田家:色々な意味も込めて、スパイダースは日本のポップスシーンの中でどんなバンドだったと思いますか?

本城:音楽の中に音楽性とエンターテイメント性を両立できたグループだったと思うんです。色々な音楽というよりはロックというか新しい音楽を突き詰めていく姿勢の中で、エンターテイメント性も発揮してテレビで表現できる。音楽だけだとテレビで表現できないことも多いんですが、それをテレビで表現できる力があった、素晴らしい能力だったんじゃないかと思います。

田家:かまやつさんはビートルズが出てきた時に、同じ機材を使いたいから香港まで買いに行った話をされてましたよ。

本城:海外の機材とか衣装を取り入れるのも早かったし、色々なグループが先陣を切っていく中で彼らがお手本にはなっていたと思います。

田家:本城さんにとってはどんなグループですか?

本城:僕にとってはこちらから教えた部分もあったし、勉強にもなりましたね。他のグループをレコーディングする際にも一つ一つの規範となるものが多かったので勉強になりました。

田家:他のグループについても来週以降お伺いしていきたいと思います。ありがとうございました。

本城:ありがとうございました。

Rolling Stone Japan 編集部

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