ザ・スパイダースが与えたシーンへの影響、当時のプロデューサー本城和治と振り返る

田家:こんばんは。

本城和治(以下、本城):こんばんは。よろしくお願いします。

田家:「あの時君は若かった」で思い出すことは何でしょう?

本城:ちょうどザ・スパイダースが絶頂期と言いますか。ヒットを続出していた時期で、仕事も楽しかったです(笑)。あの時君は……とはまだ思えない絶頂期でしたので、こんなタイトルは生温いと思いながら。

田家:作詞は菅原芙美恵さんで、作曲がかまやつさんですね。

本城:これは確か『週刊平凡』の募集歌だったと思うんですよ。それで詞を募集して、私はその選考に立ち会ってなかったんですけど、その詞にかまやつが曲をつけたのがこの曲だったんです。

田家:ザ・スパイダースも絶頂だったという話がありましたけど、本城さんもまだ20代最後の頃ですよね。あの時と言われてもピンとこない時期から53年が経ちました。今月は5週間かけて50曲選んでいただこうと思っているのですが、本城さんの生涯の制作曲数ってどれくらいおありなんですか?

本城:数えたことないんですが、昔は毎月何枚もアルバム作ってましたね。マルチじゃない時代は11枚くらいインストゥメンタルのアルバム作れるくらいだったし。そういった意味では最初の10年くらいで3000曲くらいはいってるんじゃないですかね、トータルなら45000曲くらいじゃないですか?

田家:もっとありそうですね、何万とか。

本城:全部が歌物ばかりでもなかったですからね。

田家:その中で今週はザ・スパイダースを選んでいただきました。19662月に発売になった「ノー・ノー・ボーイ」。

Rolling Stone Japan 編集部

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE