ザ・スパイダースが与えたシーンへの影響、当時のプロデューサー本城和治と振り返る

ノー・ノー・ボーイ / ザ・スパイダース

田家:この曲を選ばれたのは?

本城:これは私が邦楽制作を始めて一番最初に制作して発売した思い出の曲です。私は元々1962年からずっと洋楽をやっていまして、初めての契約アーティストがザ・スパイダースでしたから。

田家:元々ビクターで洋楽をおやりになっていたんですよね。ザ・スパイダースのデビューは1965年にクラウンレコードで、「モンキーダンス」という曲は阿久悠さんのデビュー作でもありましたね。そこから移ってこられた。

本城:クラウンで出たものはワンショットの企画モノだったんです。ザ・スパイダース自体はフリーでしたから、フィリップス・レコードと専属契約を結ぶわけです。

田家:それまで専属じゃなかったんですね。そんな話もこれからお訊きしていこうと思います。

Rolling Stone Japan 編集部

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE