ザ・スパイダースが与えたシーンへの影響、当時のプロデューサー本城和治と振り返る

サマー・ガール / ザ・スパイダース

田家:本日4曲目です。この曲を選んだのは?

本城:単純に好きだというのもありますし、ビーチ・ボーイズ的なアメリカな感じもあるので。どうしてもザ・スパイダースはビートルズのようなブリティッシュなイメージがあったんですが、この曲はアメリカン・ポップのようでかまやつらしいセンスの溢れるいい曲だなって思います。この曲はのちにC-C-Bもカバーしてますよね。彼らもザ・スパイダースのファンだったらしくて、なかなかいい演奏をしてます。

田家:ザ・スパイダースの中で、最初にバンドをやろうぜと言ったのがかまやつひろしさんと田辺昭知さんで、ザ・スパイダースという名前はかまやつさんのお父様のディープ・釜萢さんがお付けになった。田辺さんがドラムで、ベースが加藤充さん、ギター・ボーカルがかまやつひろしさん、オルガンに大野克夫さん、ギターに井上孝之さん、ボーカルが堺正章さんと井上順さん。この編成について、当時はどう思われました?

本城:元々ザ・スパイダースは1961年にスタートしていまして、当時はロックとは関係のない、今でいうラウンジ・ミュージックみたいな感じで。エキゾチックだったり、ライト・ジャズのようなBGM的な聞きやすいオシャレな音楽をやってるグループだったんです。いろいろな歌手の伴奏もやったりして、どんどんメンバーも入れ替わって、最初はゲストアーテイストだったかまやつもメンバーになって、堺正章も最後はボーカルになって。大野克夫と加藤充は京都から呼ばれて、井上堯之も大阪からやってきて。彼は元々のザ・スパイダースのコーラス担当で踊りながら歌っていて。ザ・ワイルドワンズのカセットにも一時期参加していたらしいんですが、結局リードギターがいなくて、かまやつひろしが彼にギターの座を譲ってリードギターになってメンバーが固まった。1964年に井上順が入って、レコーディングするようなグループになった。1964年にビートルズ旋風が世に起こって、かまやつひろしがグループのイメージを一新しようということでビート・グループになったんですね。

田家:「サマー・ガール」はビートルズが来日した直後に発売されましたが、GSのバンドやレコード会社の洋楽担当者ってビートルズに対してどんな反応をされていたんですか?

本城:会社によって違うでしょうけど、私はイギリス系のグループは結構出していましてから非常に興味を持ちました。ザ・スパイダースは元々ビートルズの前座に呼ばれていたんですけど、断ったんですよね。やっぱり、ザ・スパイダースは客席でちゃんとビートルズを見たいということもあって。それまでもアニマルズ、ベンチャーズ、ビーチ・ボーイズなど色々なグループの前座もやってましたし、彼らのプライドもあったんでしょうね。私は星加ルミ子さんの隣で観ましたね。

田家:すごいですね、VIP席そのものですね。

本城:ただ、女子の絶叫でちゃんと音楽が聞こえなかったイメージがあります。「イエスタディ」だけちゃんと聞こえましたけど。

田家:聞こえたという人と聞こえなかった人がいますね、席によるんですね(笑)。続いて本城さんが選ばれた5曲目、19669月発売の6枚目のシングル「夕陽が泣いている」。

Rolling Stone Japan 編集部

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