ザ・スパイダースが与えたシーンへの影響、当時のプロデューサー本城和治と振り返る

黒ゆりの詩 / ザ・スパイダース

田家:この曲を選ばれた理由は?

本城:ザ・スパイダースの音楽が円熟していって、彼ららしく垢抜けたサウンドの極地だと思います。この曲は大野克夫がエレキシタールを弾いているんです。そういうサウンドを初めて日本で取り入れたり、ビーチ・ボーイズとかジ・アソシエーションなど色々なアイディアも取り入れつつ新しいザ・スパイダースサウンドを作れたなって。ただ、福田一郎が私のところにやってきて「これジ・アソシエーションそっくりじゃないか」って言われたのを覚えてますね(笑)。

田家:作詞は橋本淳さんだったと。

本城:そうですね。その前の「真珠の涙」もそうで、橋本淳さんが自分で売り込んできたんです。彼はブルー・コメッツもやってましたんで、ザ・スパイダースへの起用は全く考えてなかったんでね。

田家:ザ・タイガースを一手に書いてましたね。

本城:淳さんがザ・スパイダースもやらせてよなんて言っててね。僕は、え〜って言ってたんだけど。最初は筒美京平さんとやりたいって言ってたんですよ。でも、筒美京平とは付き合いもあったし才能ももちろんあるんですけど、彼の個性は強いですし、良い意味でも歌謡曲作りの名人ですからね。ザ・ジャガーズは筒美京平サウンドで良かったんですけど、ザ・スパイダースまではやってもらいたくないなと思って。「真珠の涙」だけは京平さんらしい面白いアレンジをしてもらったんですけど。「黒ゆりの詩」は完全にザ・スパイダースのサウンドにしようと思って。

田家:本城さんはザ・サベージとかザ・カーナビーズとかザ・テンプターズとか色々おやりになっていて。ザ・スパイダースは他のバンドとは違ったんでしょうね。

本城:もちろんそうですね。他の才能を借りなくても、ザ・スパイダースだけで音楽を完結できるっていう自信もありましたからね。詞は色々な作詞家に頼みましたけど。

田家:これだけの才能が集まってるわけですからね。この曲の出た19689月というのは、ザ・スパイダースにとっても末期になると。

本城:そうでもないんじゃないんですか? ザ・スパイダースは1970年いっぱいまでやってましたし、1970年最初にはじめてそれぞれのソロ作を作ったんですけど、それは本当に末期ですよね。この時期はザ・タイガースも個人の活動が盛んになった時期だと思いますし、そういった意味では、ザ・スパイダースとザ・テンプターズとか一流のグループサウンズは最後までちゃんとして音楽を自分たちのペースでやっていたと思いますけどね。

田家:そういう中で、今週のザ・スパイダースから選ばれた最後の曲は19709月発売の最後のシングル「エレクトリックおばあちゃん」。

Rolling Stone Japan 編集部

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