チャーリー・ワッツ秘蔵インタビュー「僕がロックを一緒にプレイするのは彼らだけ」

チャーリー・ワッツ、2013年撮影(Photo by Andy Sheppard/Redferns/Getty Images)

8月24日に亡くなったチャーリー・ワッツを追悼。ジャズからの影響と尊敬するドラマー、史上最長クラスのキャリア、ミック・ジャガーやキース・リチャーズへの信頼などについて語った2013年の秘蔵インタビューを公開する。

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2013年、ローリング・ストーンズが50周年記念ツアーの再開に備えていた頃、筆者は本誌記者として彼らを取材した。ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、ロン・ウッドには過去にインタビューしていたが、チャーリー・ワッツと腰を据えて話したことはなかった。長い間、彼とジャズについてじっくりと語ってみたいと思っていた筆者にとって、これは願ってもない機会だった。しかし、筆者が執筆した部分は誌面には掲載されなかった。

健康上の問題を理由に、チャーリーが今秋に行われるストーンズのツアーに参加しないと知った時、筆者はその原稿を掘り起こし、彼が語った内容に基づいて一部加筆した。チャーリーが80歳で他界したという先日のニュースを受けて、本記事が初公開されることになった。このインタビューから浮かび上がる疑問、それはチャーリー・ワッツを失ったストーンズが、これからもローリング・ストーンズであり続けられるのかということだ。ミック・ジャガーとキース・リチャーズが、彼の逝去に言いようのない悲しみを覚えていることは疑いない。50年以上にわたってバンドの歴史とサウンドの形成に貢献してきた彼に、2人は親愛の情と感謝の気持ちを抱いていた。バンドが喪失を経験するのはこれが初めてではないが、チャーリーの逝去がストーンズにとって致命的な出来事であることは確かだ。彼はストーンズの歴史とサウンド、そしてアイデンティティの核だった。— Mikal Gilmore

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チャーリー・ワッツはジャズドラマーだ。彼は20代前半だった1963年にローリング・ストーンズに加入した際に、ほどなくしてビートルズと肩を並べるティーンのアイドルとなるロックバンド(本人たちはブルースのバンドだと主張していた)に自分が馴染めるかどうか確信を持てずにいた。過去にはロンドンのブルースのシーン(ストーンズもその一部だった)で活動していたアレクシス・コーナーのバンドでドラムを叩いていたが、彼は常に自身をジャズドラマーだとみなしていた。1965年、彼はビバップのアルトサックス奏者チャーリー・パーカーについての絵本『Ode to a High Flying Bird』を出版している(それから27年後の1992年に、彼はパーカーのトリビュートアルバム『A Tribute to Charlie Parker With Strings』を発表している)。キース・リチャーズはストーンズのことを(少なくともステージ上では)ジャズバンドだとみなしており、チャーリーの存在がその理由だと語っている。

チャーリー曰く、彼にロックンロールの新たな聞き方について教えてくれたのはキースだったという。「彼らがジョン・リー・フッカーやマディー・ウォーターズのような一流のブルースマンに夢中になっている一方で、僕はチャーリー・パーカーやソニー・ロリンズを聴いてた。ストーンズに加入したばかりの頃はそういうのにハマってたんだ。当時僕はエルヴィスにまるで興味がなかったんだけど、キースが僕に彼の魅力を教えてくれた。もちろん『Hound Dog』なんかは知ってたけど、キースに勧められてからは彼の音楽をじっくり聴くようになった」


ソニー・ロリンズが参加した「Waiting On A Friend」(『Tattoo You』収録)

さらにチャーリーは、ジャズだけでなくロックンロールやR&Bもプレイするニューオーリンズのミュージシャンたちの音楽を聴くようになった。「ジミー・リードのドラマーだったアール・フィリップスとかだね。彼のドラミングはまさにジャズだった」。チャーリーはそう語っている。「アール・パーマー(デイヴ・バーソロミュー、ファッツ・ドミノ、プロフェッサー・ロングヘアー、リトル・リチャード等と共演)もニューオーリンズの偉大なドラマーだ。彼は常に自分をジャズマンだと捉えていたし、実際にそうだった。彼はキング・プレジャーとも一緒にやってるからね」

チャーリーはジャズとロックンロールのバックグラウンドに類似性を見出し、プレイヤーが共通しているケースがあることにも気づいた。「ニューオーリンズのドラマーにとって、バンドの掛け持ちはごく当たり前のことだった。ジガブー(ミーターズのドラマーであるジョセフ・モデリステ)がいい例だ。彼はビバップだけじゃなく、セカンドラインのリズムも叩くことができた。オーネット・コールマンのカルテットでドラムを叩いてたエド・ブラックウェルは革新的な存在で、本物のジャズマンっていうのは彼のような人のことを指すんだと思う。ニューオーリンズ生まれの彼は、もちろんセカンドラインのリズムも心得ていた」

Translated by Masaaki Yoshida

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