日本最初のバンドブームとなったGS仕掛け人・本城和治とともに振り返る



田家:1967年10月、ザ・テンプターズへのデビュー曲「忘れ得ぬ君」。作詞作曲はバンドのリーダーでギター、ソングライターの松崎由治さん。通称、ヨッチン。

本城:彼がいるおかげでザ・テンプターズは成功したって思いますね。他のグループはそういう人がなかなかいなかった。当時、いい作曲家がいて成功したのはブルー・コメッツとザ・ワイルド・ワンズとザ・テンプターズとザ・スパイダースでしたね。

田家:ザ・テンプターズと最初に出会われたの経緯は覚えていますか?

本城:ザ・スパイダースの事務所スパイダクションが早いうちに契約していて。他からも注目されていたんでしょう。本当かわかりませんけど、ザ・スパイダースはザ・タイガースに対抗できるグループを自分たちの後に繋いでおきたいということでザ・テンプターズと早めに契約したという話もあります。

田家:なるほど。「忘れ得ぬ君」はショーケン一人で歌ってないですもんね。

本城:「忘れ得ぬ君」はヨッチンのソロですからね。ショーケンはハーモニカ吹いてるだけですから。なのでB面「今日を生きよう」はショーケンのソロにしたいなと思って。ただあまりいい曲が見つからなかったんで、たまたまグラス・ルーツのオリジナル曲でフィリップスにリビング・デイ・ライツというグループがカバーしたバージョンがあってすごく良かったんです。これをザ・テンプターズもやったらいいなと思って聞かせて、なかにし礼に良い歌詞書いてよってお願いして。両面でヒットしましたね。

田家:両A面シングルという言葉もなかったもんですからね。事務所のスパイダクションは、元々ホリプロなんでしょうけど、本城さんはナベプロとは仕事をしていないんですよね。

本城:一切やっていません。するチャンスもなかったというか、シンコーミュージックさんとやりとりしてたから、ナベプロさんとはやりにくいというのもありましたし。ああいう会社は社長の意向が強かったんでしょうし、ディレクターの意向じゃなかなか上手く進まないし。私は結構自分でやりたいことやりたいタイプだったので。

田家:そういうザ・テンプターズの二枚目のシングルもオリジナルでした。「神様お願い」。

Rolling Stone Japan 編集部

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