日本最初のバンドブームとなったGS仕掛け人・本城和治とともに振り返る

田家:こんばんは。

本城和治(以下、本城):こんばんは、本城です。

田家:よろしくお願いいたします。今週はGSのお話なのですが、GSという言葉のネーミングは誰が名付けたのだろう。本城さんという説とかまやつさんという説があると思うのですが……

本城:それは両方とも違いますね(笑)。これは、グループサウンズに人が集中し出した1967年の夏頃、ジャガーズがデビューした頃だと思うのですが「週刊明星」でつけられたのが正解なようですね。

田家:「週刊明星」がそういう言葉を使ったときにはどう思われました?

本城:別に抵抗はなかったです。それまで表現する言葉がなかったんですよね、音楽的にはボーカル&インストゥメンタルグループという表現もしましたし、ビートグループという言い方もされますね。

田家:テレビで「勝ち抜きエレキ合戦」が始まったのが19656月で、その頃からエレキギターを使った加山雄三さんや寺内タケシさんなどバンドやポップスで広まっていったわけですが、「勝ち抜きエレキ合戦」の記憶はありますか?

本城:私はあまりテレビを見る方じゃなかったので、ほとんど見ていません。そういうコンテスト番組はありましたけど、皆インストゥメンタルグループだったんですよ。歌を歌うグループはあまりなかった。要するにベンチャーズとかアストロノーツみたいなエレキギター・インストの大ブームで、それに触発されたグループが色々出ていたわけですね。

田家:そういうインストゥメンタルに歌の要素を入れたのがグループサウンズで、その仕掛け人が本城さんだったと。

本城:たまたまそういうことになりましたけど(笑)。私は一番最初にザ・スパイダースをレコーディングしたんですが、それ以前に一つあるグループをレコーディングしたことがあって。それはレコードにならなかったんですが、当時エレキグループだったザ・フィンガーズですね。

田家:伝説のギタリスト、成毛滋さんのバンド。

本城:ええ。それで34曲インストナンバー録ったんですけど、発売する段階になってもうエレキのインストじゃないだろう、ボーカル&インストゥメンタルグループじゃないと時代に乗っていけないし、歌物じゃないとヒットする要素ってそんなにないですからね。それで当時ザ・フィンガーズにボーカル入れろってマネージャーをせっついたんですが、いいボーカルが見つからず諦めちゃったんですね。

田家:さて、今日は「勝ち抜きエレキ合戦」で優勝したバンドが本城さんプロデュースでデビューしております。ザ・サベージで「いつまでもいつまでも」

Rolling Stone Japan 編集部

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