Emerald・中野陽介と手島将彦が語る、音楽家として追求する「心豊かでいるための音楽」

中野:トラックメイカー兼ボーカルみたいな音楽を、バンドというよりも詞とかメロディを聴くという意味ではプリミティブなフォークミュージックに近いなと思っていて。最近Momくんのライブを見たんですけど、歌詞がめちゃくちゃいいなと思って。音楽はクラスのヒーロー感はあるけど、歌詞はフィッシュマンズ的なところもあったりしていいなって思って、楽しくなってきましたね。

手島:面白いですね。音楽の話で言うと、例えば都会の音楽、シティ・ポップでも、都市の中でもそれがベッドルームなのか多様な人間が集まっている雑踏なのか、切り口によって変わると思うんですよ。多様な人が同じところにごちゃごちゃと生きている場所なら、サイケ感や場合によってはノイズ感が生まれると思うんですよね。一方でベッドルームなら個人や少人数で、内省的あるいは距離感が近いものになると思います。そしてそれらは混ざったりもする。そうした自分のいる環境が絡み合って表現が生まれているのかもしれないですね。

中野:騒々しい音楽なのにすごくアンビエントに聞こえるサイケデリアもあるんです。音楽を状況に合わせて取り入れていって、自分のメンタルをコントロールしていく作用もあるなあって思っていて。そういうものを作ってるんだっていう自覚は常に持ってますね。もっと皆が当たり前に音楽というものを取り入れていくようになればと思うんです。でも今回のオリンピックでつくづく感じたのは、文化は軽んじられているし、煌びやかな部分だけを搾取され続けてきて、そこに携わる人もないがしろにされてきた歴史があって。怒りを通り越して、単純に僕らも当事者でありながら加担していたことを如実に感じさせられたんです。なので、音楽自体に市民権が欲しい、そして切実なものが切実に響く影響力がほしいんです。

手島:それはすごく同感ですね。

中野:そういう世の中にしていくためにできることは何かなと思うと、もちろん声を上げることもそうなのかもしれないけど、あくまで僕個人の言いたいことがあるとすれば、何はさておき「投票」に行って欲しいということがあります。この前の「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」が中止になった時も、渋谷(陽一)さんが怒っていらしたじゃないですか。フェスや音楽に限らず、ああいう悔しさを一個人が社会に対してフィードバックする方法があまりにもないなと感じています。これからライブフェスに行く人で投票権を持っている人は、投票済みの証明がないととライブに入れないとかを民間事業からやっていくのはいいと思うんですよ。誰に投票しても問わないので、僕としては選んだ自覚を持って音楽と暮らしたいです。アーティストたちの音楽やアートを娯楽として消費するだけでなく、切実な表現に呼応したり、影響されたり想像を喚起しながらそれを社会にフィードバックとして還元できるようになればと思う。新たな問題も起きるかもしれないのだけど、今の世の中よりは、よっぽどそういう世の中の方がいいなって。

Rolling Stone Japan 編集部

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