1960年代後半のカレッジフォークを仕掛け人とともに振り返る

別れのサンバ / 長谷川きよし

田家:1969年7月発売、長谷川きよしさんのデビュー曲です。この曲はどういう流れの中の曲だったんですか?

本城:彼を発掘したのは、森山良子から話を聞いてですね。なんかのコンサートで一緒になったらしいんですよ。良子ちゃんがすごい新人と今日一緒になったのよって言っていて。それで興味を持って、どこに出てるのかなと思ったらシャンソン喫茶「銀巴里」に出てたんですよ。それで聞きに行って。歌っているのはシャンソンばかりじゃなかったんですけどね。デモテープを録った時からこの曲のギターはすごいなと思ったし、こういうサンバ的な曲も新鮮だったし。面白いなと思ってそのままアルバムを作り始めて、その中からシングルカットという形になったんですね。この曲は村井邦彦にアレンジしてもらって。最初はそんなにヒットしなかったんですけど、深夜放送で人気出始めてあれよあれよという間に半年後くらいに売れて。当時、ビクターのディレクターの親しい人たちも「よくこの曲ヒットさせたね」って言うんですよ。ビクターの編成管理だったらこの曲は通らないよってびっくりしてました。

田家:聞いたことのない曲だったからでしょうね。本城さんだったからシングルにできたのかもしれません。長谷川きよしさんでもう一曲お聞きください。「黒の舟唄」。

黒の舟唄 / 長谷川きよし

田家:1971年2月発売、作詞が能吉利人さん、作曲が桜井順さん。歌っていたオリジナルは野坂昭如さんで、シングル『マリリン・モンロー・ノー・リターン』のB面でした。

本城:この曲の作詞の能吉利人さんは、桜井潤さんが野坂さんの曲を作る時にペンネームとして使っていた名前なんです。『マリリン・モンロー・ノー・リターン』のB面でしたけどすごくヒットしたわけでもないんですけどね。どういうきっかけできよし君がこの曲を見つけてきたのか分からないんですが、彼のレパートリーとして取り入れてライブで歌うようになったんです。結局彼が歌った方が有名になったんだけど。

田家:こういう曲を歌いたいんだと言われた時はどう思われました?

本城:これはアルバムで歌ったんですよ。なので、歌いたいもなにも彼のライブをそのままレコーディングしたような感じで。その時はシングルカットしておらずアルバム曲だったんですが、これはシングル用にロックバージョンとして、ドラムにつのだ☆ひろと成毛滋のエレキギターと玉木宏樹さんのバイオリンで。

田家:つのだ☆ひろさんと成毛滋さん? バンド・フライドエッグを組む前ですか?

本城:その前だったかな?

田家:ストロベリー・パスの時代ですか。この話はまた来週ですね。でもこれは、長谷川きよしさんの一面がよく出ている曲なんでしょうね。次の曲は本日最後、思いがけないカバーです。「ひこうき雲」。

Rolling Stone Japan 編集部

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